吉野川左岸の山中、字
寺伝によれば聖武天皇の勅願によって行基が開創したといい、「編年紀事略」は「神亀元年行基菩薩自ラ刻スル所ノ薬師釈迦仏ヲ以土佐国長岡郡豊永郷大田山ニ安置ス、大願院豊楽寺是ナリ」と記す。この行基開創伝承はともかく、旧本尊薬師如来(現在は釈迦如来とされる)の胎内銘は仁平元年(一一五一)八月四日付で、多くの結縁者の名とともに「五間四面薬堂造立奉千部法花経読誦書写共千躰尺迦三尊 造立供養如右千
の開基と伝え、最初静謐山、次いで柏村山と号し、慶安年中(一六四八―五二)より薬王山と号した。元禄一六年(一七〇三)の豊楽寺境内山林町間書上(同文書)では静謐山に復しており、以後そのまま。豊楽寺文書のうち最も古いものは正平七年(一三五二)三月三日の「弓削庄河口村菊元名内畠壱段」の左衛門尉正道遵行状で、中世には守護山名氏・赤松氏をはじめ在地の土豪たちの帰依により栄えたが、日蓮宗への改宗を迫る松田氏の圧力のために退転、荒廃した。
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…町域の大部分は山林で,耕地は少ないが,養蚕を中心に米作,畜産,冷涼野菜の栽培,林業など,農・畜・林の複合経営による産業の振興をめざしている。国宝薬師堂を有する豊楽(ぶらく)寺,旧村名の大杉の起源となった日本一の杉の巨木(特天)がある。【萩原 毅】。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」