鎌倉前期の歌人。俊成の外孫で養女となる。父は右少将尾張守(おわりのかみ)藤原盛頼(もりより)、母は俊成の女の八条院三条。三条の母は親忠(ちかただ)の女の美福門院加賀(びふくもんいんかが)で、三条は定家(ていか)とは同腹の姉にあたる。俊成女は1190年(建久1)20歳ぐらいで因幡守(いなばのかみ)源通具(みちとも)の妻となり一女一男具定(ともさだ)を産んだが、通具は一門の栄達のために権門の女性按察(あぜち)と結婚したので、家庭的にはかならずしも幸福ではなかった。このあたりを人生の転機として1202年(建仁2)後鳥羽(ごとば)院に出仕し、仙洞(せんとう)歌壇で活躍して女流歌人の第一人者となる。13年(建保1)43歳ごろに出家し、初め嵯峨(さが)に住み嵯峨禅尼、中院尼(なかのいんのあま)といわれたが、のちに播磨(はりま)国越部庄(こしべのしょう)に移り住み越部禅尼とよばれる。51年(建長3)の『続後撰(しょくごせん)集』成立後、甥(おい)の撰者藤原為家(ためいえ)に送った『越部禅尼消息』には晩年の見解や心情がみられる。歌は『新古今和歌集』に初出。家集には『俊成卿女集』がある。『無名草子(むみょうぞうし)』の作者に擬せられる。「千五百番歌合(うたあわせ)」をはじめ当時のおもな歌合に参加し、また百首歌を出詠する。「下もえに思ひ消えなん煙だに跡なき雲のはてぞかなしき」。「下もえの少将」の異名はこの歌に基づくという。
[糸賀きみ江]
『森本元子著『俊成卿女の研究』(1976・桜楓社)』
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(渡部泰明)
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…鎌倉前期の女流歌人。俊成(しゆんぜい)卿女ともよばれる。尾張守藤原盛頼女で,母は俊成女の八条院三条。正しくは俊成の孫であるが,養女として育てられる。源通具に嫁したが,のち後鳥羽院に出仕して別居。〈風通ふ寝覚めの袖の花の香にかをる枕の春の夜の夢〉(《新古今集》)など,艶麗な詠風に特色を示し,宮内卿らと並び称された。家集《俊成卿女集》,歌論《越部禅尼消息》など。勅撰集入集117首。【上条 彰次】…
…鎌倉時代の物語評論。著者は新古今歌人の藤原俊成女と推定される。内容は,《源氏物語》を中心に《狭衣(さごろも)物語》《夜半の寝覚(ねざめ)》《浜松中納言物語》その他散逸物語に及ぶ20編の物語についての論評,《万葉集》《古今集》以下《千載集》に至る勅撰集を取り上げた歌集評,および小野小町,清少納言,和泉式部など平安時代の代表的女流歌人に対する人物評からなり,それらを女房たちの会話の形で述べる。…
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