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氷上川継 ひかみのかわつぐ

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

氷上川継
ひかみのかわつぐ

奈良時代の廷臣。塩焼の子。母は不破内親王。延暦1 (782) 年謀反の罪で捕えられ,伊豆三島に流された。これを氷上川継の乱といい,母姉妹は淡路に,妻は伊豆三島に流され,妻の父藤原浜成は官職を奪われた。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

氷上川継 ひかみの-かわつぐ

?-? 奈良-平安時代前期,塩焼(しおやき)王の次男。
母は不破(ふわ)内親王氷上志計志麻呂(しけしまろ)の弟。天応2年(782)因幡守(いなばのかみ)のとき,謀反の罪で捕らえられて伊豆(いず)三島(静岡県)に流された。延暦(えんりゃく)24年(805)罪をゆるされ,のち典薬頭(てんやくのかみ),伊豆守となる。名は「かわつぎ」ともよむ。

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朝日日本歴史人物事典の解説

氷上川継

生年:生没年不詳
奈良末・平安初期の貴族。塩焼王(758年に氷上を賜姓)と不破内親王の次男。志計志麻呂の弟。河継とも。桓武天皇が即位した翌延暦1(782)年閏1月,謀反を企てて失敗(時に因幡守),死一等を減ぜられ,妻法壱と共に伊豆(静岡県)に流された。母や川継の姉妹も連座し,淡路(兵庫県)へ配流,妻の父藤原浜成にも累はおよんでいる。謀反は母が聖武天皇の皇女であったことから皇位を主張して起こしたもので,大伴家持ら官人多数も与しており,天武(狭義には聖武)天皇の血脈を承けない桓武に大きなショックを与え,平城京棄都つまりは長岡京遷都を決意する誘因ともなった。しかし24年,桓武重態に伴う恩赦により罪を許され,翌年,桓武死去の前日,従五位下に復している。弘仁3(812)年伊豆守に任,以後消息は不明。

(瀧浪貞子)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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世界大百科事典 第2版の解説

ひかみのかわつぐ【氷上川継】

奈良末・平安初期の賜姓皇族。生没年不詳。氷上塩焼(しおやき)の子で,母は聖武天皇の娘不破内親王。779年(宝亀10)無位から従五位下,782年(延暦1)因幡守となる。同年彼の資人(しじん)の大和乙人が兵仗を帯びて宮中に許可なく入って捕らえられ,〈川継が衆を聚めて北門より朝廷を攻めようとし,与党の宇治王を期日に赴かせようと乙人を遣わした〉と自白した。川継は逃走したが大和国葛上郡で捕らえられ,光仁天皇の諒闇(りようあん)のため死罪を免じられて伊豆国三島に遠流された。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

氷上川継
ひかみのかわつぐ

生没年不詳。奈良後期の貴族。氷上塩焼(しおやき)の二男。河継とも書く。母は不破(ふわ)内親王(聖武(しょうむ)天皇の女)。妻は藤原浜成(はまなり)(京家)の女(むすめ)法壱(ほういつ)。県犬養姉女(あがたいぬかいのあねめ)巫蠱(ふこ)事件に連座した志計志麻呂(しげしまろ)は兄。782年(延暦1)因幡守(いなばのかみ)に任ぜられたが、資人(しじん)の大和乙人(やまとのおとひと)がひそかに兵仗(ひょうじょう)を帯びて宮中に闌入(らんにゅう)して捕らえられ、川継が朝廷転覆を図っていると告げた。このため川継は謀反の罪で大和(やまと)国葛上(かつらぎかみ)郡(奈良県御所(ごせ)市付近)で捕らえられ、妻とともに伊豆国三嶋(みしま)(静岡県三島市)に流された。また義父浜成も参議、侍従の二官を奪われ、さらに三方(みかた)王、大伴家持(おおとものやかもち)ら35人が連座した。これを氷上川継の乱といい、皇位継承に絡む藤原式家の政治的陰謀によって起こったものとみられている。その後、806年(大同1)に罪を許されて従(じゅ)五位下に復し、809年には典薬頭(てんやくのかみ)となり、812年(弘仁3)には伊豆守に任ぜられた。[平田耿二]

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