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西ゴート王国 にしゴートおうこく

世界大百科事典 第2版の解説

にしゴートおうこく【西ゴート王国】

5世紀から8世紀にかけて,西ゴート族がフランス南部からイベリア半島にかけて建設したゲルマン部族国家。ドイツ語でReich der Westgotenという。ゴート族は東ゲルマン人の一派で,現在までのところその発祥地はスカンジナビア半島とされている。のちに南西に移動し,230年ころ黒海北西岸のステップ地帯に定着したが,この時期,東西二つの集団に分かれた。やがてバルカン半島からイタリアに入り,とくにアラリック1世(在位395‐410)の時代にはローマをはじめ諸都市を略奪した。

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世界大百科事典内の西ゴート王国の言及

【ゲルマン人】より

…インド・ヨーロッパ語族に属する言語を用いる群小部族集団の総称。言語系統としては,ケルト人やイタリキと親近関係にあるともされている。ゲルマンという呼称の由来は不詳であるが,この語が文献上最初にあらわれるのは,前80年ころ,ギリシアの歴史記述家ポセイドニオスが,前2世紀末におけるゲルマンの小部族,キンブリ族Cimbriとテウトニ族Teutoniのガリアへの侵寇を叙述した記録においてである。もっともそれ以前,前4世紀の末に,マッシリア(マルセイユ)にいたギリシア人航海者ピュテアスが,ノルウェーやユトランド半島に出向いた際の記録の一部が残っているが,そこではまだそこに住んでいた民族について,ゲルマンという呼称は使われていない。…

【民族大移動】より

…その一例をいえば,古ゲルマン社会では土地があり余っていたため,従士制度という人的結合にのみ重点を置いた社会構造であったが,いまやローマ領内への移住により,土地保有の多寡が権力保持の基準となるというまったく新しい土地観念を植え付けられたわけで,この考えがやがて封土の授受となり,それと古い主従の観念とが制度的に結合して,あのユニークな西ヨーロッパ的封建制度をつくり出した。またバンダル王国を除く各地の部族国家(フランク王国,西ゴート王国東ゴート王国ブルグント王国ランゴバルド王国など)では,古い同族的結合の原理を保存しつつも,いっそう広大な領域を支配する必要から,キリスト教との関係を利用し,属州民との融合を図り,総じて王権の著しい伸張をみたが,それは結局,それぞれ特色ある国家の勢力均衡をもたらしただけで,西ヨーロッパの全域を再度ローマ帝国のような単一世界帝国の下に置くこととはならなかった。東西両洋を含む民族大移動の成果について,世界史的な考察を行う場合には,この点こそ,西ヨーロッパの大きな特徴であったことを見のがしてはならない。…

【リーベル・ユディキオルム】より

…654年ごろ,レケスビントの時代に編纂された西ゴート王国最後の法典。第8回トレド教会会議の承認を得て公布されたといわれる。…

【ローマ】より

…バンダル族はアフリカの旧ローマ領全部とサルディニア,コルシカ,バレアレス諸島,シチリアを征服,ブルグンドは北は上部ライン川,西はソーヌ川,南はデュランス川まで拡大,西ゴート領はスペインの大部分と南西ガリアを包括,スペインでは北東部のガラエキアにスエビが残存するのみであった。ガリアでは西ゴート王エウリックがロアール,ソーヌ,ローヌに至る領域を完成し,アルルとマッシリアも占領しイタリアと境を接していた(西ゴート王国)。ブルグンドと西ゴートの北にはブリタンニ(アルモリカ人)とフランクの間に,かつてのローマの将軍アエギディウスの息子シアグリウスの支配するローマの飛地があった。…

※「西ゴート王国」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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