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「コルドバ」の意味・読み・例文・類語
コルドバ(〈スペイン〉córdoba)
ニカラグアの通貨単位。1コルドバは100センターボ。
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コルドバ
- ( Córdoba )
- [ 一 ] アルゼンチン中央部の州。州都コルドバ。
- [ 二 ] アルゼンチン、コルドバ州中部の都市。一五七三年に建設された古都。商工業の中心地で、自動車、皮革、織物工業がさかん。一六一三年創立の同国最古の大学がある。
- [ 三 ] スペイン南部、アンダルシア地方中央部の都市。グアダルキビル川の中流域にある。フェニキア人、カルタゴ人の植民地として建設され、ローマ領を経て、七五六年以来イスラム支配下のスペインの首都となり、一〇世紀には西方最大の都市となった。一二三六年カスティーリャ王国に占領され、一八〇八年フランス軍に破壊されて以後おとろえた。
- [ 四 ] メキシコ南東部、ベラクルス州の都市。コーヒー、砂糖、タバコなどの集散地。
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コルドバ
Córdoba
スペイン南部,アンダルシア地方中央部の同名県の県都。人口31万(2001)。グアダルキビル(古名バエティス)川北岸に立地し,同川にかかるローマ期の橋やイスラム期の壮大なモスク(スペイン語名メスキータ)で知られる。セビリャとマラガに次ぐアンダルシア第3の都市だが,近代産業と現代的な活気に乏しい。高級なめし革の代名詞〈コードバンcordovan〉は,イスラム期コルドバの特産であった皮革製品の名声に由来する。
コルドバの起源は前2世紀にさかのぼる。前1世紀の地理・歴史学者ストラボンによれば,コルドバはローマ人がイタリアからの入植者のためにヒスパニア--ローマ人はイベリア半島をこう呼んだ--に建てた最初の植民都市であった。また一説には,前169年か前152年に国務官M.クラウディウス・マルケルスの命令で創設されたともいわれる。いずれにしても,確証はなく詳細も不明である。グアダルキビル川流域の豊かな農耕地帯を周囲に控えるコルドバは,ローマ期を通じてイベリアの代表的都市の一つとして大いに栄え,ローマ文化の一中心地だった。そしてローマ最大の思想家と評され,皇帝ネロの師であったストア哲学者セネカ,その甥で詩人のルカヌスその他の優秀な人材の生地であることから,〈子らに秀でたコルドバCorduba praepotens alumnis〉ともたたえられた。
しかし,コルドバがその歴史の中で最も繁栄し,広く知られるようになるのはイスラム期に入ってからである。711年にイベリアに侵攻したイスラム教徒は,軍事征服が一段落すると,アル・アンダルスと命名したこの新しい領国の首都にコルドバを選んだ。そして756年にはダマスクスを追われたウマイヤ朝のアブド・アッラフマーン1世が亡命政権を立てたことから,西方イスラム世界の首都となった。
後ウマイヤ朝期(756-1031)はアル・アンダルスの最盛期であり,コルドバは西ヨーロッパ随一の規模に発展した。10世紀には,その周囲の城壁は全長12km,人口は10万,城壁外居住地区は21を数え,東方のバグダードやコンスタンティノープルとその威容を競った。4回の拡張工事で収容人員2万5000に達したメスキータ,蔵書数40万冊と伝えられる王宮図書館,北アフリカやビザンティン帝国からも石材を運んで造営されたマディーナ・アッザハラ(メディーナ・アサハーラ)の王宮(現在は廃虚)等から,この時のコルドバは〈西方の宝石〉とまで呼ばれた。そしてこの繁栄のコルドバからはイブン・ハズム,イブン・ルシュド(アベロエス),モーシェ・ベン・マイモン(マイモニデス)らが輩出した。1236年のカスティリャ王フェルナンド3世による征服後,一地方都市に低落したコルドバは,しだいに繁栄の道から外れていき,人口も16世紀初めには3万3000に落ち込んだ。
執筆者:小林 一宏
美術
古代ローマ時代の遺構としては,わずかにグアダルキビル川にかかる橋と城壁が残るにすぎない。現存する遺構中,最も重要な大モスク(メスキータ)は,アブド・アッラフマーン1世によって創設され,13世紀にキリスト教の大聖堂に転用されるまで,繰り返し増改築が行われた。コルドバの北西約8kmに,アブド・アッラフマーン3世により建造された,都城ともいえる広大な王宮址マディーナ・アッザハラ(936-981)がある。最上段に宮殿,中段にあずまやと庭園,下段にモスクと行政庁舎が設けられたが,1013年にベルベルによって破壊されて廃虚と化し,現在まで一部が発掘・修復されている。このほかイスラムの遺構にサン・フアンのミナレット(930)がある。ムデーハル建築の代表的な例としては,カサ・デ・ラス・カンパナス(14世紀),カサ・デ・ロス・カバレロス・デ・サンチアゴ(14~15世紀)がある。また,城砦兼宮殿アルカサルは,14世紀の建造。スペインに残る二つのシナゴーグのうちの一つ(14世紀)が,かつてのユダヤ人居住区に残っている。博物館には,先史時代からイスラム時代に至る各時代の出土品を所蔵する考古学博物館のほか,美術史美術館がある。
執筆者:杉村 棟
コルドバ
Córdoba
アルゼンチン中北部,コルドバ州の州都。人口126万7521(2001)。パンパの農牧地帯の北西端に位置し,有数の農牧産品の集散地。第2次大戦後は自動車産業の中心地となり,工業都市へと変貌を遂げつつある。近傍の山間地帯には景勝地,保養地が多く,コスキンCosquínは民俗音楽祭の開催地として知られる。市は1573年スペイン人のカブレラJ.L.de Cabreraによって建設された。1613年イエズス会がコルドバ大学を創立してからは,南米南部の文教の中心地となり,パラグアイのガスパール・フランシアをはじめ多くの人材を世に送った。教会の多い町で,なかでも1680年着工,1758年完成の大聖堂は,豪華な内部装飾をもち,植民地時代の代表的建造物である。内陸部最大の都市として国政にも少なからぬ影響力を有し,1918年に同国を席捲した大学改革運動の発祥地はコルドバ大学であったし,55年9月独裁者ペロンを退陣へと追いやった反対運動も,この町から始まった。さらに69年5月市内で起こった労働者と学生による流血の反政府騒動(コルドバッソ)は,翌年の大統領更迭の一因となり,70年代前半の政治的動揺の引金ともなった。
執筆者:松下 洋
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コルドバ(スペイン)
こるどば
Córdoba
スペイン南西部、アンダルシア地方コルドバ県の県都。グアダルキビル川中流右岸、標高106メートルに位置する。人口30万8072(2001)。平均気温は1月9.1℃、7月27.9℃、年降水量664.3ミリメートルと、気候は比較的温和で乾燥しているが夏は暑い。付近の平野は肥沃(ひよく)な農業地帯で、灌漑(かんがい)施設が整備され、穀物、ブドウ、オリーブなどの畑が広がり、町はこれら農産物の集散地となっている。伝統工業としてコルドバ革の製造、宝石や金銀銅細工などがある。また、近年はグアダルキビル川とその支流の水力を利用した発電や、付近の石炭、銅、鉛などの鉱産資源の開発により、郊外に近代工業も立地し始めている。
[田辺 裕・滝沢由美子]
ローマ軍によるイベリア征服の過程で、紀元前169年ごろに創設された。やがてイベリア南部におけるローマ文化の中核都市となった。住民は学芸愛好で知られ、そのなかから紀元後1世紀には哲学者セネカが世に出た。8世紀初頭、イベリアを征服したイスラム教徒はその首都をコルドバに定め、ついでダマスカスを追われたウマイヤ朝がここに亡命政権をたてた。10世紀、コルドバは東のバグダードとコンスタンティノープルに比肩する西方随一の都市に発展し、「西方の珠玉」とまで評された。だが、11世紀前半には内戦の場と化し、さらにその200年後にキリスト教徒の支配下に入ってからは西のセビーリャに繁栄を奪われていった。
[小林一宏]
イスラム中世の大都市としてのコルドバのおもかげを伝えるものに、8世紀から10世紀に建造された大モスクがある。785年アブドゥル・ラフマーン1世によって建造が開始され、833年および961年の拡張工事を経て、987年に完成された際にはイスラム世界でメッカのモスクとともに最大の規模を誇り、もっとも美しいイスラム教モスクとなった。総面積は2万3000平方メートルにも及び、植物文様と幾何学文様を組み合わせたイスラム美術独特の美しい装飾をもつ23個の扉口、内部の南側に並ぶ列柱など、ウマイヤ朝およびアッバース朝時代のイスラム美術の傑作である。しかしイスラムの支配時代が終わると同時に、1236年にはカトリック教会となり、1523年にはゴシック式の祭室をもつ大聖堂へと改築されてしまった。この大モスクのある歴史地区は1984年および1994年に世界遺産の文化遺産として登録されている(世界文化遺産)。
[名取四郎]
コルドバ(アルゼンチン)
こるどば
Córdoba
アルゼンチン中部、コルドバ州の州都。大平原パンパの北西部、プリメロ川沿岸に位置する。都市圏人口127万1435(2001)、同国第二の大都市である。1573年ヘロニモ・ルイス・デ・カブレラによって建設され、周辺地区の穀物や畜産物の集散地として発達した。古くからの交通の要地で、1870年パラナ川沿岸のロサリオ港との間の鉄道が開通、1870年代には国内の主要都市と結ぶ鉄道網の中心地となった。第二次世界大戦後の工業化の過程で自動車工業が発達。ほかに皮革、繊維、食品加工、陶器製造、航空機、セメントなどの工業が盛んで、アルゼンチン有数の工業都市となっている。工業の発展にはプリメロ川の水力発電所の建設が重要な役割を果たした。またスペイン植民地時代の文化の中心地で、市の中心サン・マルティン広場前にある大寺院、総督府の建物は16世紀に建設されたものである。ほかに1613年に設立されたコルドバ大学や国立天文台もある。
[今井圭子]
コルドバ(メキシコ)
こるどば
Córdoba
メキシコ南東部、ベラクルス州西部の都市。東シエラ・マドレ山脈東麓(とうろく)の標高852メートルに位置する。人口13万3807(2000)。周辺はミカン、コーヒー、サトウキビの栽培が盛んで、とくにコーヒーの集散地として知られる。国道150号線が通じ、東152キロメートルにメキシコの玄関ベラクルス、西6キロメートルに花園の町フォルテン、その西17キロメートルに紡績の町オリサバがある。北西のオリサバ火山(5675メートル)は万年雪に覆われ、山麓はこの雪解け水に恵まれる。
[高木秀樹]
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コルドバ
Córdoba
スペイン南部,アンダルシア自治州中部にあるコルドバ県の県都。モレナ山脈の南麓,グアダルキビル川右岸に位置する。ムーア人(ベルベル人)支配の時代には銀細工,絹の刺繍や高級皮革コードバン(コルドバの名に由来)の製造で有名であったが,今日酒造と織物工業が盛ん。町の起源はおそらくカルタゴの植民地で,以来ローマ,西ゴート(→ゴート人)と支配者が交代した。711年にムーア人に占領され,756年に後ウマイヤ朝の首都となり,10世紀中頃に最盛期を迎えた。1236年にカスティリア王国のフェルナンド3世がこの町をイスラム教徒から奪回しキリスト教徒の手に戻したが,芸術や産業は以後衰退した(→国土回復運動)。都市を象徴するコルドバの大モスク(メスキータ)は 1984年に世界遺産の文化遺産に登録され,1994年には大モスクを取り囲む歴史的建造物や街並みにも登録範囲が拡大された。コルドバ西郊にある都市遺跡メディナ・アサーラ(ザフラー宮殿)は後ウマイヤ朝のカリフの離宮として使用されたもので,2018年に世界遺産の文化遺産に登録された。人口 29万7506(2006推計)。
コルドバ
Córdoba
アルゼンチン中北部,コルドバ州の州都。首都ブエノスアイレスに次ぐアルゼンチン第2の大都市で,首都の北西約 600km,コルドバ山脈東麓にあり,プリメロ川に臨む。 1573年スペイン人によって建設され,イエズス会の布教活動の中心地となった。 17世紀には大西洋岸のブエノスアイレスと太平洋岸のチリ,リマを結ぶ交通路の要地として繁栄。 1866年プリメロ川にダムが建設され,1869年ロサリオからの鉄道が通じてから商工業が急速に発展。ダムはその後改良され,南アメリカで最大級のダムとなり,市に水と電力を供給するほか,灌漑にも利用され,周辺一帯の果樹園や穀物畑を潤す。この電力をもとに市内には自動車工業を中心に,皮革,繊維,ガラス,食品加工などの各種工業が立地し,市は国内有数の工業都市となっている。工業発展に伴って労働運動も盛んとなり,1969年5月市内で始まった軍事政権に反対するストライキはやがてアルゼンチン全土に広がり,ゼネストに発展,コルドバソ cordobazoと呼ばれる運動になった。植民地時代の建築物が多数保存されている美しい町で,観光客が多く,背後のコルドバ山中の保養地への観光基地としてもにぎわう。古くからの文化都市でもあり,国内最古のコルドバ大学 (1613) をはじめとする高等教育機関,博物館,劇場など,教育・文化施設が多い。 2000年イエズス会布教時の名残りをとどめる,市内のイエズス会地区と周辺の住居が世界遺産の文化遺産に登録。アルゼンチン中北部の交通中心地で,市から放射状に鉄道,道路が延びる。近郊には国際空港がある。人口 117万 9067 (1991推計) 。
コルドバ
Córdoba
メキシコ中部,ベラクルス州中部の都市。メキシコ市の東南東約 250km,メキシコ高原南東端部東斜面にあり,標高約 920m。西方にメキシコの最高峰シトラルテペトル火山 (5700m) をのぞむ。 1618年建設。 1821年8月 24日,メキシコのスペインからの独立を定めた条約 (コルドバ条約) が調印された地として知られる。現在周辺の農業地帯の中心地で,コーヒー,サトウキビ,タバコ,バナナなどを集散,加工する。メキシコ市とベラクルスを結ぶ幹線道路,鉄道が通る。人口 15万 428 (1990推計) 。
コルドバ
Córdoba, Josè María
[生]1799
[没]1829
コロンビア独立の英雄,軍人。ボヤカ (1819) ,アヤクチョの戦い (24) で軍功を立てたが,独立後の内乱で落命。
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コルドバ(アルゼンチン)【コルドバ】
アルゼンチン中部の都市。パンパの西縁に当たり,農産物の集散地で,化学・自動車・繊維工業が行われる。1573年創設。イエズス会の伝道の中心地で,1613年大学創立後,南米南部の文教の中心となり,美しい町並み,聖堂,博物館など植民地時代の面影を残している(イエズス会教会群などは2000年世界文化遺産に登録)。1969年労働者と学生による流血の反政府騒動が起こった。131万7000人(2010)。
→関連項目ロサリオ
コルドバ(スペイン)【コルドバ】
スペイン南部,アンダルシアの同名県の県都。グアダルキビル川右岸にある交通・商業の中心地で,皮革工業,金銀細工などの産業がある。イスラム支配下の8世紀に建設された壮大なモスクはメスキータと呼ばれ,16世紀にキリスト教の聖堂に改築された。起源はローマ人の植民都市で,8世紀にイスラム支配下のイベリア(アル・アンダルス)の中心となり,後ウマイヤ朝の首都として,商業・学問の世界的中心となった。1236年キリスト教徒が奪回。歴史地区は1984年と1994年世界文化遺産に登録。32万8326人(2011)。
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コルドバ
Córdoba
スペイン南部のアンダルシア地方にある商工業都市
フェニキア人に支配されて以来栄えた河港で,ローマ時代をへて,711年アラブ人が渡来。755年後ウマイヤ朝の首都となって繁栄期にはいり,戸数20万戸,世界の大都市としてイスラーム文化も栄え,コルドバ大学には西ヨーロッパの留学生が集まった。キリスト教徒の国土回復運動(レコンキスタ)のため,1236年カスティリャ王国に占領された。
出典 旺文社世界史事典 三訂版旺文社世界史事典 三訂版について 情報
コルドバ
Córdoba
スペイン南部の古都。カルタゴ人の創設といわれ,ローマ期から繁栄し,8世紀初めイスラーム勢力に占領され,ウマイヤ朝(後ウマイヤ朝)期にはその首都となり,宗教・文化の中心地となった。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
コルドバ
SFアニメ映画「クラッシャージョウ」に登場する宇宙戦艦。連合宇宙軍の巨大重巡洋艦。全長978.7メートル。
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