西寒多神社(読み)ササムタジンジャ

デジタル大辞泉 「西寒多神社」の意味・読み・例文・類語

ささむた‐じんじゃ【西寒多神社】

大分市寒田にある神社祭神は、月読尊つきよみのみこと天照大神天忍穂耳尊あめのおしほみみのみこと豊後国一の宮

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精選版 日本国語大辞典 「西寒多神社」の意味・読み・例文・類語

ささむた‐じんじゃ【西寒多神社】

  1. 大分市寒田(そうだ)にある神社。旧国幣中社。祭神は月読尊(つきよみのみこと)、天照大神(あまてらすおおみかみ)天忍穂耳命(あまのおしほみみのみこと)ほか応神天皇九年、武内宿禰が創建したと伝えられる。中世以後大友氏など領主崇敬をうけた。豊後国一の宮。

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日本歴史地名大系 「西寒多神社」の解説

西寒多神社
ささむたじんじや

[現在地名]大分市寒田

本宮ほんぐう(六〇七・五メートル)の北東麓、寒田そうだ川中流右岸の字神木かみのき鎮座。祭神は天照大神・伊弉諾命・伊弉冉命・月読命・大直日命・神直日命・天思兼神。旧国幣中社。神功皇后が三韓出兵の帰路西寒田山に白旗を置き、のち応神天皇のとき武内宿禰が勅により社祠を建立したと伝える(大分郡志)。もと本宮山頂に鎮座していたとする伝承があり、「豊後国志」に記される山頂の祠が現存する。本宮山を神体山として成立したことがうかがわれる。「延喜式」神名帳に大分郡一座名神大社「西寒多神社」(サムタ・ササムタ)とみえる。貞観一一年(八六九)三月二二日には無位西寒多神が従五位下に叙せられた(三代実録)

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「西寒多神社」の意味・わかりやすい解説

西寒多神社
ささむたじんじゃ

大分市大字寒田(さむた)に鎮座。祭神は、西寒多大神を主祭神とし、天照皇大御神(あまてらすおおみかみ)、伊弉諾尊(いざなぎのみこと)、伊弉冉尊(いざなみのみこと)、月読尊(つきよみのみこと)、大直日神(おおなおびのかみ)、神直日(かむなおび)神、天思兼(あめのおもいかね)神を配祀(はいし)する。豊後一宮(ぶんごいちのみや)。『三代実録』(901)に「豊後国无位(むい)西寒多神従(じゅ)五位下」とあり、『延喜式(えんぎしき)』(927)神名帳(じんみょうちょう)に「西寒多神社」とある。戦国期には領主大友氏の崇敬厚く、江戸時代は藩主松平氏によって、社殿造営改築がたびたび行われた。1871年(明治4)国幣中社に列格、以前は西寒神社とされていたが、現在、西寒としている。例祭日4月15日。

[落合偉洲]

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百科事典マイペディア 「西寒多神社」の意味・わかりやすい解説

西寒多神社【ささむたじんじゃ】

大分市大字寒田(そうだ)に鎮座。旧国幣中社。西寒多神(天照大神)をまつる。応神天皇の時,西寒多山上に社殿を建てたと伝える。本殿大社造。延喜式内の大社に比定され,豊後(ぶんご)国の一宮。例祭は4月15日。33年ごとに神衣(かんみそ)祭(神衣を新調する神事)がある。

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デジタル大辞泉プラス 「西寒多神社」の解説

西寒多(ささむた)神社

大分県大分市、西寒多山の麓にある神社。延喜式内社。祭神は月読尊(つきよみのみこと)・西寒多大神(ささむたのおおかみ)(天照大神)・天忍穂耳命(あめのおしほみみのみこと)。豊後国一之宮。フジの花の名所

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