西寺(読み)サイジ

デジタル大辞泉 「西寺」の意味・読み・例文・類語

さい‐じ【西寺】

常楽寺通称
京都市南区にあった寺。平安京鎮護のため、遷都とともに建立された東西二寺の一。羅城門の右に建立、右大寺とも称した。天福元年(1233)再度火災ののち荒廃。→東寺

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精選版 日本国語大辞典 「西寺」の意味・読み・例文・類語

さい‐じ【西寺】

  1. [ 一 ]じょうらくじ(常楽寺)[ 二 ]」の通称。
  2. [ 二 ] 京都市南区唐橋にあった寺。延暦一五年(七九六桓武天皇勅命により、東寺(教王護国寺)とともに平安京の官寺として創建。羅城門の西にあり、東寺と相対し、隆盛をきわめたが正暦元年(九九〇以後の火災、風害により次第に衰退した。現在はその跡が残る。右寺。右大寺。
  3. [ 三 ] 京都市南区唐橋平垣町にある浄土宗西山禅林寺派の寺。もと西芳寺。明治二七年(一八九四[ 二 ]を継承して改称

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「西寺」の意味・わかりやすい解説

西寺
さいじ

平安遷都のおり、平安京鎮護のために造営された東西二寺の一つ。朱雀(すざく)大路を挟んで東寺(教王護国寺)と相対し、右京九条一坊三保(京都市南区唐橋(からはし)西寺町)にあった。東寺を左大寺(さだいじ)、西寺を右大寺(うだいじ)とも称した。796年(延暦15)に藤原伊勢人(いせんど)が東西両寺の造寺長官に任命されている。823年(弘仁14)東寺は空海に託され真言(しんごん)密教の中心道場となったのに対し、西寺には守敏僧都(しゅびんそうず)が入り、官寺として発展した。とくに860年(貞観2)に文徳(もんとく)天皇の国忌が行われるなど、鎮護国家の寺として栄えた。しかし990年(正暦1)火災により焼失、荒廃。現在は旧跡を残すのみである。1959年(昭和34)以後、西寺跡は十数回にわたって発掘調査が行われ、金堂、南大門など多数の施設の遺構が確認されている。

 なお、現在唐橋平垣(ひらがき)町にある西寺は浄土宗西山(せいざん)派に属する寺で、もと西寺跡にあって西方寺と称したが、1894年(明治27)に改称して西寺の名を継承した。

[大鹿実秋]

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改訂新版 世界大百科事典 「西寺」の意味・わかりやすい解説

西寺 (さいじ)

平安京の右京九条一坊(現,京都市南区)にあった官寺。羅城門をはさんで,左京東寺と対称の位置にあり,右大寺ともいう。797年(延暦16)以前に造寺司が置かれ,造営を開始する。工事は長期間にわたり,主要伽藍(がらん)のうち金堂は820年代,講堂は832年(天長9)に成り,塔はかなり遅れて10世紀初頭に別当の聖宝(しようぼう)が建てた。西寺と東寺とは一体で造営されたが,西寺の別当や三綱(さんごう)は東寺のそれらよりも上位であり,僧綱所(そうごうしよ)が西寺に置かれ,国忌(こき)も西寺で修された事例が多いところから,西寺のほうが格はやや高かったとみられ,国家鎮護の寺として栄えた。しかし,東寺が真言宗の拠点となって発展したのに対し,西寺は律令体制とともに衰退し,990年(正暦1)以後,たび重なる火災ですっかり荒廃に帰した。1959年よりの発掘調査で,伽藍配置がほぼ判明している。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「西寺」の意味・わかりやすい解説

西寺
さいじ

平安京の九条大路,羅城門の西側 (現在の京都市南区唐橋) に建てられていた寺院。右大寺ともいう。朱雀大路をへだてて東寺 (左大寺) に対していた。延暦 13 (794) 年,平安京が造営されたとき,鎮護国家のために東西両寺を建立。東寺がその後栄えたのに対し,西寺は早く衰退し滅んだ。

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事典・日本の観光資源 「西寺」の解説

西寺

(京都府京都市南区)
二大官寺」指定の観光名所。

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