議政府(読み)ぎせいふ

改訂新版 世界大百科事典 「議政府」の意味・わかりやすい解説

議政府 (ぎせいふ)

朝鮮李朝時代の最高政策決定機関。1279年(高麗忠烈王5)にできた都評議使司後身。都評議使司は門下省政治),三司(財政),密直司(軍事)の上級官員で構成され,合議制で運営した。李朝にもこの制度が引きつがれたが,1400年に議政府と改称されるとともに兵権は議興三軍府に移管された。太宗は王権の拡大をはかり,事大(中国関係)文書と重罪人審査以外の政務国王に直結する六曹に移管して,議政府による重臣の権限縮小させた。そののち1436年には六曹政務の監督権が議政府に与えられるなど,議政府の権限は拡大と縮小を繰り返した。これは王権と臣権の対抗関係から生じたものであり,16世紀初には議政府(重臣)側の勝利で一段落するが,同世紀末には政治・軍事の実権は新設の備辺司に移行した。法制上,議政府は李朝末期まで存続し,19世紀末には権限の一部を回復したが,1907年に廃止され,内閣制に移行することになる。
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議政府 (ぎせいふ)
Ǔijǒngbu

韓国京畿道中央部,ソウル北部に隣接する都市。人口35万5380(2000)。李朝の太祖が開城からソウルへ遷都したとき,長期滞在し,重臣を呼び寄せ国政を論じた故事から発生した名。首都四鎮の一つが置かれた。現在も周囲に多数の軍事基地があり,それらへの物資供給を中心に商業都市として発達した。ソウルの膨張に伴い,その衛星都市化し,人口が急増している。周囲は果樹,園芸農業が盛んである。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「議政府」の意味・わかりやすい解説

議政府
ぎせいふ
Ǔijǒngbu

朝鮮,朝鮮王朝 (李朝) の最高行政官庁。別名は都堂,黄閣ともいう。定宗2 (1400) 年,高麗以来の都評議使司を議政府と改め,文官だけの会議体とし,翌太宗1 (01) 年に門下府を廃止し,その官僚を議政府の職員として庶政の処理にあたらせた。同5年,行政の一般庶務は六曹が分掌し,議政府は国家に重大な事件が起ったときだけ会議を開いた。世宗 18 (36) 年,再び議政府が六曹を統轄することになった。そののち議政府の権限は時代により伸縮し,明宗 (在位 1545~66) 時代には議政府の実権は備辺司に移行し,のち高宗 31 (1894) 年に内閣と改編された。ただその名称だけは高宗 45 (1907) 年まで存続した。所属官は領議政 (正一品) 1名,左・右議政 (正一品) 各1名,左・右賛成 (従一品) 各1名,左・右参賛 (正二品) 各1名などがおかれた。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「議政府」の意味・わかりやすい解説

議政府
ぎせいふ / イジョンプ

韓国(大韓民国)、ソウル北方35キロメートルの地点に位置するソウルの衛星都市。面積81.59平方キロメートル、人口35万4422(2000)。京畿道(けいきどう)に属する。1963年、市に昇格。朝鮮戦争を契機に軍事上の要地になり、ソウルとの交通が便利になったことなどで急成長した。かつては付近の農産物の集散地であったが、朝鮮戦争以後に純消費都市の性格を帯びた。ソウルを市場とする近郊農業が発達している。1970年代後半から工業化が進行し転出入が著しく人口変動が大きい。

[森 聖雨]

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百科事典マイペディア 「議政府」の意味・わかりやすい解説

議政府【ぎせいふ】

韓国,京畿道中北部,ソウル北方20kmにある都市。京元線の主要駅で,農産物の集散地。金城街道と京元本街道の分岐点。李朝太祖がここにとどまり,文武官がソウルからこの地にきて政治を議したことが地名の由来。朝鮮戦争後,米軍基地が置かれ,部隊相手の第3次産業が盛んになった。39万9000人(2005)。

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