コトバンクはYahoo!辞書と技術提携しています。

赤橋守時 あかばしもりとき

6件 の用語解説(赤橋守時の意味・用語解説を検索)

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

赤橋守時
あかばしもりとき

[生]?
[没]元弘3=正慶2(1333).5.18. 鎌倉
鎌倉幕府最後の執権。左近将監六波羅探題北条久時の子。九州探題英時の兄。応長1 (1311) 年6月評定衆となる。正和2 (13) 年7月から嘉暦1 (26) 年まで引付頭人。正和5 (16) 年讃岐守,元応1 (19) 年武蔵守に任じられた。

本文は出典元の記述の一部を掲載しています。

出典|ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
Copyright (c) 2014 Britannica Japan Co., Ltd. All rights reserved.
それぞれの記述は執筆時点でのもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

赤橋守時 あかはし-もりとき

1295-1333 鎌倉時代の武将。
永仁(えいにん)3年生まれ。赤橋久時の長男。足利尊氏の義兄。正中(しょうちゅう)3年16代執権となる。鎌倉攻めの新田義貞軍を迎撃したが敗れ正慶(しょうきょう)2=元弘(げんこう)3年5月18日自刃(じじん)。39歳。鎌倉幕府最後の執権となる。法号は慈光院。法名は道本。

出典|講談社 この辞書の凡例を見る
(C)Kodansha 2015.
書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

朝日日本歴史人物事典の解説

赤橋守時

没年:正慶2/元弘3.5.18(1333.6.30)
生年:生年不詳
鎌倉幕府最後の執権。赤橋久時と北条宗頼の娘の子。北条守時ともいう。足利尊氏の妻登子の兄。徳治2(1307)年左近将監,従五位下。応長1(1311)年評定衆,正和2(1313)年一番引付頭,讃岐守を経て,元応1(1319)年武蔵守。嘉暦1(1326)年4月執権となる。相模守,従四位下。元弘3(1333)年後醍醐天皇倒幕運動のなかで,尊氏が幕府に反旗をひるがえし,六波羅軍が全滅したあと,同年5月鎌倉を目ざす新田義貞の軍を鎌倉小袋坂に迎撃して敗れ,自刃。<参考文献>多賀宗隼「赤橋駿河守守時」(『鎌倉時代の思想と文化』),福田以久生「執権北条守時」(安田元久編『鎌倉将軍執権列伝』)

(新田英治)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

世界大百科事典 第2版の解説

あかはしもりとき【赤橋守時】

?‐1333(元弘3)
鎌倉幕府最後の執権。北条久時の長子。1326年(嘉暦1)北条高時金沢貞顕のあいつぐ執権辞職,出家の後をうけて執権に就くが,得宗専制体制下執権の座は形式的なものであった。33年5月新田義貞の軍は鎌倉を攻撃。守時は洲崎で防戦に努めたが敗れ,同月18日自分が足利尊氏の縁者(妹は尊氏室)であることを理由に退却を拒否して自刃したという。【青山 幹哉】

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
All Rights Reserved. Copyright (C) 2015, Hitachi Solutions Create,Ltd. 収録データは1998年10月に編集製作されたものです。それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。また、本文中の図・表・イラストはご提供しておりません。

大辞林 第三版の解説

あかはしもりとき【赤橋守時】

?~1333) 鎌倉幕府最後の執権。妹は足利尊氏の室。新田義貞の鎌倉攻めの際、防戦の末自刃。

出典|三省堂
(C) Sanseido Co.,Ltd. 編者:松村明 編 発行者:株式会社 三省堂 ※ 書籍版『大辞林第三版』の図表・付録は収録させておりません。 ※ それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

赤橋守時
あかばしもりとき
(?―1333)

鎌倉幕府最後の執権。出生年を1295年(永仁3)とする説もある。鶴岡八幡宮(つるがおかはちまんぐう)赤橋際(ぎわ)に居を構えた赤橋流北条久時(ひさとき)の子。母は北条宗頼(むねより)の娘。1307年(徳治2)従(じゅ)五位下左近将監(しょうげん)。1311年(応長1)引付衆(ひきつけしゅう)を経ずに評定衆(ひょうじょうしゅう)に就任。以後、讃岐守(さぬきのかみ)、武蔵(むさし)守、相模(さがみ)守を歴任。極位は従四位下。1326年(嘉暦1)4月執権に就任。1333年(元弘3・正慶2)5月18日、幕府軍6万を率いて、新田義貞(にったよしさだ)軍の将、堀口貞満勢を鎌倉小袋坂に防いだ。妹婿足利(あしかが)高氏(尊氏(たかうじ))の幕府離反を知ったが、得宗(とくそう)北条高時(たかとき)らの思惑を配慮し、自分は足利の縁者であるから退却できないと、その場で自刃した。法名慈光院道本。[奥富敬之]
『多賀宗隼著『赤橋駿河守守時』(『鎌倉時代の思想と文化』1946・目黒書店・所収)』

出典|小学館 日本大百科全書(ニッポニカ) この辞書の凡例を見る
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの解説は執筆時点のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

赤橋守時の関連キーワード執権政治正和中先代赤橋登子赤橋久時赤橋英時北条登子北条久時北条宗政北条宗頼

今日のキーワード

ポケモンGO

2016年7月6日に米国・オーストラリア・ニュージーランドで配信開始となったスマートフォン用AR(仮想現実)モバイルゲーム。開発・発売元はNiantic,Inc.(ナイアンティック)で、株式会社ポケモ...

続きを読む

コトバンク for iPhone