出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
奈良県大和郡山(やまとこおりやま)市小泉町にある臨済(りんざい)宗大徳寺派に属する寺。山号は円通山(えんつうざん)。通称「わびの寺」。本尊釈迦如来(しゃかにょらい)。1663年(寛文3)茶道石州(せきしゅう)流の祖である片桐(かたぎり)石州が父貞隆(さだたか)の菩提寺(ぼだいじ)として、京都大徳寺185世玉舟宗璠(ぎょくしゅうそうばん)を招いて開山とし、寺を建立、1668年(寛文8)から1673年(延宝1)までここに隠棲(いんせい)した。石州の禅と茶が総合された禅寺で、茶室・庭園は「わび」の精神の表れといわれる。書院と茶室は国重要文化財。茶室に付属する蹲踞(つくばい)、書院に付属する手水鉢(ちょうずばち)三つも石州の作で、いずれも国重要文化財に指定されている。庭園は国の名勝・史跡に指定され、花の寺としても名高い。
[菅沼 晃]
奈良県大和郡山市にある臨済宗大徳寺派の寺。山号は円通山。茶道石州流の始祖である片桐石州が,亡父貞隆の菩提のため,1663年(寛文3)大徳寺の玉舟宗璠を開山にして開創した。石州の禅と茶,また幕府普請奉行としての技術をしのばせる茶室と書院(重文),それに庭園(名・史)があることで有名である。石州は片桐且元の甥にあたり,1万6000石を領した小泉藩主であった。茶道を桑山宗仙に学び,〈わびの境地〉を茶道の本義とする石州流を創し,将軍徳川家綱の茶道師範となって,〈剣は柳生,茶は石州〉と評された。幕府普請奉行も務めたが,晩年当寺に隠棲し,1673年(延宝1)この地で没した。茶室は二畳台目,二畳の次の間付,切妻造杮葺き(こけらぶき)。庭園は枯山水に大刈込の生垣をめぐらし,はるかに大和東山を借景にした雄大なものである。〈佗之寺〉と呼ばれるが,近時は庭園のサツキ,ツバキ,クチナシが四季に咲いて,花の寺としても訪れる人が多い。
執筆者:藤井 学
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
…遠州のあとをうけ,1665年(寛文5)には家綱の御道具奉行を拝して将軍家の茶道師範となり,《石州三百箇条》を献じるなどして,その茶名があがった。その後,大和慈光院を隠居所として建立し,大徳寺の玉舟宗璠を請じて開山とした。その茶法は《侘びの文》や《自筆案詞》などによって知ることができる。…
…農業は米作を中心に,イチゴ,トマト,ナスなどの野菜類,桃,柿などが栽培される。矢田丘陵には奈良時代の創建になり,満米上人以来の地蔵信仰とアジサイの寺として著名な矢田寺(金剛山(こんごうせん)寺),舎人親王の建立と伝え,厄除け観音で参詣者の多い松尾寺,小泉藩主で茶道石州流の祖片桐石州(貞昌)の手になる庭園(史・名)で名高い慈光院や民俗博物館などがあり,県立自然公園に指定されている。東部の稗田は代表的な環濠集落として知られる。…
※「慈光院」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
各省の長である大臣,および内閣官房長官,特命大臣を助け,特定の政策や企画に参画し,政務を処理する国家公務員法上の特別職。政務官ともいう。2001年1月の中央省庁再編により政務次官が廃止されたのに伴い,...
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