日本歴史地名大系 「足柄城跡」の解説
足柄城跡
あしがらじようあと
足柄峠の頂上一帯に築かれた戦国時代の小田原北条氏の山城。延宝八年(一六八〇)の竹之下村鑑帳(竹之下区有文書)や所領村鑑帳(岩田家文書)、また享保五年(一七二〇)の足柄峠古城跡間数目録(小山五十戸共有文書)、寛保三年(一七四三)の足柄古城跡書上(湯山文書)などに当城についての記載があり、大規模な遺構が存在することが知られていた。昭和五〇年(一九七五)から行われた遺構調査で、中核部分の峠から北方へ連続する五つの曲輪、櫓台・虎口・井戸・空堀・石垣といった付属施設、峠から北の国境稜線上に四ヵ所、南の
永禄一一年(一五六八)一二月、甲斐武田信玄の駿河侵攻で今川家は没落、北条氏と武田氏は駿東地方の掌握をめぐって激しく敵対する。同一二年二月六日、北条氏康は石切左衛門五郎・同善左衛門に石切衆一〇人を連れて「明日七日足柄峠ヘ罷上、肥田・二宮播磨相談、小屋を懸御番可勤」ことを命じており(「北条氏康朱印状」青木文書)、この時期に甲州からの攻撃に対する小田原防衛の拠点として当城の築城が始まった。
足柄城跡
あしがらじようあと
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報