兵法と同義に戦略,戦術の意に用いた例もあるが,一般には軍律,軍令を意味する。日本古代の軍令は軍防令に規定があり,違反者に対する罰則は〈律〉にも条文のあったことが推定されている。近代兵制のもとでは1921年軍人軍属に関する刑事裁判を管轄する機関として軍法会議が設置された。戦国大名や近世大名が軍団の統制,戦闘能力強化のため制定した軍法としては,1553年(天文22)9月の毛利氏軍法,59年(永禄2)3月の今川義元定書,67年の武田信玄条目などが早期の制定に属するものであろう。今川義元が制定した7ヵ条の定書は,尾張侵入を前に公布したもので,兵粮馬飼料の給付,諸指令の順守,軍規維持,布陣や戦闘手段の厳守,隷属的奉公人の帰属などについて定め,最も整備された形態となっている。いずれにしてもこれら軍法の制定は,戦国大名による統一的軍団の編制が前提とされている。戦国武将や織豊期の大名が戦闘について個々に適切な指示を与え,また禁制(定)の形式において軍団の秩序を指示した例は一般に見受けられるが,軍令を条目として布告した事例では,1590年(天正18)2月吉日付け徳川家康軍法,92年(文禄1)5月11日付け豊臣秀吉朱印状,1600年(慶長5)7月7日付け徳川家康軍法が典型的である。もっとも秀吉の朱印状は豊臣秀次の朝鮮出兵について指示した条書として,軍事的規定以外の要件をも含んでいる。家康のものは15ヵ条からなる典型的軍法であり,徳川軍団の組頭,物頭に1通ずつ配布されて周知徹底されたものである。これらの規定は行軍・布陣・戦闘中の行動,指揮命令の順守,敵地味方地における秩序安寧の維持にわたり,いわゆる抜駆けの高名(こうみよう),けんか口論,他陣への混入,放れ駒を禁止するなど,個々にきわめて具体的に規定されている。徳川氏の軍法は《徳川禁令考》に収録され,その全容をうかがいうるが,その条目は幕末に至るまで大差ない内容であった。
執筆者:岩沢 愿彦
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…兵学,兵法ともいう。軍学は一般に隊伍・兵器の配合,軍役の数などを論ずる軍法が中心と思われがちだが,その内容は,出陣・凱旋・首実検などの式を定める〈軍礼〉,武器の製法・製式を論ずる〈軍器〉,戦略・謀計を論ずる〈軍略〉,そして〈軍法〉,雲気・日取り・方角の吉凶を占う〈軍配〉に分けられ,その奥義は軍配とされる。中世より軍学は《七書》や〈八陣,遁甲〉など中国軍学の強い影響下に,仏教・道教など雑多な要素をもって形成され,軍配を中心とした《兵法秘術》(1354),《訓閲集》(1417),《兵術軍敗》(1503)などの著述があるが,実戦への影響は分明ではない。…
…軍隊の規律・秩序を維持するため,軍の構成員の規律違反その他の犯罪行為に対し,多くの国には一般の司法制度とは別の法体系による軍事司法制度が存在し,軍法,軍刑法等によりその処理方針などを規定している。この制度の歴史は軍隊や戦争の出現とともに古く,古代ローマ時代から存在し,戦場の指揮官には部下の軍人,軍属のいかなる犯罪に対しても刑罰を科する権限が与えられていた。…
※「軍法」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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