日本大百科全書(ニッポニカ) 「辻村太郎」の意味・わかりやすい解説
辻村太郎
つじむらたろう
(1890―1983)
地理学者。神奈川県出身、東京帝国大学地質学科を出て、地理学、地形学を専攻し、山崎直方(やまさきなおまさ)の後を継ぎ、東京大学理学部地理学教授として人材を育成した。鋭い観察眼と総合的な識見によって、日本の地形および景観研究を開いた。山地、氷河、火山、断層地形などの論文があり、文化地理学、生物地理学、自然保護などにも関心が深かった。日本地理学会会長を務め、その名誉会員、日本山岳会名誉会員であった。
多くの著述があり、『地形学』(1925)、『日本地形誌』(1929)は日本地形学の先駆であり、『新考地形学』(1933~1934)2巻、『断層地形論考』(1942)は充実した研究である。『文化地理学』(1941)、『景観地理学講話』(1937)、『景観論』(1955)をはじめ多数の論文、書評がある。また『山』(1942)、『海岸の地理』(1948)のほか、『日本の景観』(1958)、『晩秋記』(1940)、『黄葉集』(1958)などは優れたエッセイである。
[木内信藏]
『『辻村太郎著作集』全7巻(1985、1986・平凡社)』