遠山啓(読み)トオヤマヒラク

デジタル大辞泉 「遠山啓」の意味・読み・例文・類語

とおやま‐ひらく〔とほやま‐〕【遠山啓】

[1909~1979]数学者熊本の生まれ。東京工業大教授代数関数論研究で知られ、数学教育改革する「水道方式」を提唱した。著作に「数学入門」「無限と連続」など。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「遠山啓」の意味・わかりやすい解説

遠山啓
とおやまひらく
(1909―1979)

数学者。数学教育運動家。熊本県に生まれる。1938年(昭和13)東北帝国大学数学科卒業。海軍航空隊の教授を経て、1949年(昭和24)東京工業大学教授。1951年数学教育協議会結成、数学教育の改革運動に着手し、「水道方式」による計算体系を樹立、学校現場に大きな影響を与えた。主著は『数学入門』上下(1960)、『競争原理を超えて』(1976)など。

[三原芳一]

『『遠山啓著作集』全27巻(1981・太郎次郎社)』

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「遠山啓」の意味・わかりやすい解説

遠山啓
とおやまひらく

[生]1909.8.21. 仁川
[没]1979.9.11. 埼玉
数学者,教育家。朝鮮で生れて間もなく熊本に戻る。東京大学を中退し,東北大学で数学を学ぶ。第2次世界大戦後,数学教育に関心を持ち,生活単元学習を批判。 1949年,東京工業大学教授。代数関数の非アベール的理論で評価を得る。 51年,数学教育協議会を組織し,数学教育の改革運動を開始する。量から数,およびその計算方法を導く「水道方式」を考案,1960年代以降,算数・数学教育の現代化に努めるとともに,教育科学研究会にも積極的に参加した。 73年教育雑誌『ひと』を創刊し,戦後教育を批判する立場から市民教育運動を進めた。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「遠山啓」の解説

遠山啓 とおやま-ひらく

1909-1979 昭和時代の数学者。
明治42年8月21日生まれ。昭和24年東京工業大教授。代数関数論の研究で知られる。26年数学教育協議会を結成,数学教育の改革にとりくみ,「水道方式による計算体系」を提唱。48年教育雑誌「ひと」を発行した。昭和54年9月11日死去。70歳。熊本県出身。東北帝大卒。著作に「無限と連続」「数学入門」など。

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世界大百科事典(旧版)内の遠山啓の言及

【暗算】より

…黒表紙の次に作られた国定教科書(緑表紙)では,〈数理思想の開発〉の名のもとに暗算は強化され,769+76といった3位数+2位数まで暗算でやるようになり,さらに次の教科書(水色表紙)では,250-24-68-75というものまでが暗算に入れられた。 第2次世界大戦後もしばらくこの傾向は続いたが,50年代の終りに,暗算と筆算に関して数学教育上有名な論争が数学者の遠山啓(1909‐79)と塩野直道(1898‐1969)の間で行われた。緑表紙の編集責任者であった塩野は,暗算には日常生活における実用的価値と数概念に基づいた計算を意識的に使うことにより数学的思考を絶えず働かすという理論的価値があり,暗算を計算の中心に位させるという暗算中心の計算体系を主張したのに対して,遠山は,暗算には個人差が多く,筆算は安易さからもその形式のもつ発展性からも計算の中心であり,これを早くから指導すべきであるという筆算中心の計算体系を主張した。…

【学校】より

…これらはだれもが認める学校の機能であるが,具体的にどのような学校にするかが問題である。1950年代から数学教育改造運動にとり組んできた遠山啓は,70年代に入って,学校は自動車学校型の学校と劇場風の学校のどちらかにするのがよいと提案した。前者は,将来就く仕事に必要な知識・技術は順序だてて確実に習得させる学校であり,後者は,みずから選択して入場し,自分の興味に合致しなければ退場自由という学校である。…

※「遠山啓」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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