遺伝と環境(読み)いでんとかんきょう

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

遺伝と環境
いでんとかんきょう

生物の形質は、遺伝によって決まるのか、それとも環境が左右するのかは、あらゆる生物系科学の基本問題の一つである。同時に、その背景には、いわゆる「氏か育ちか」に象徴される人間性の決定因を知りたいという願望が潜んでいることも論をまたない。さらに、もしこの設問が遺伝要因に有利な形で解決されるなら、現社会にあって高い能力を示し、そのために高い権力や地位をもつ者の子孫は、当然また高い能力と地位を約束されることになる。これは、政治経済的保守主義の理念を強化する。同じ関係が人種間にまで拡張されるなら、人種主義など国際紛争の契機ともなりうる。遺伝・環境問題のもたらす波紋は深く広い。また、近代遺伝学を生み出した西欧文化は、ベラスケスの絵画などに典型的に認められるように、子供を小さな大人として描き出し、元来、生得説の傾向が根強い。そこでは、この問題がことさら重要な一つの争点となったことも忘れてはならない。[藤永 保]

人間性への疑問が出発点

一般論としての「遺伝と環境」を論じる際には、まず人間のもっとも基本的な特性とは何かが問題とされる。人間の本質は古来より心にあるとされてきたために、身体的形質よりも精神的特性がより多く問われることにもなる。精神的特性として、西欧文化圏では伝統的に知、情、意を基本的三大機能とする能力心理学が唱えられてきた。知的機能の個人差は知能、情意機能のそれは性格とよばれる。これに伝統的生得説が加わって、基本的知能および性格はそれぞれ遺伝により定まるとする、知能と性格の固定観が唱えられ、論議の焦点を形づくってきた。
 人間性の遺伝・環境問題を論じるにあたっては、また環境のもつ特異性についても注意を払う必要がある。人間の発達環境として重要なのは、物質的なものよりも対人的、社会的、文化的環境である。ところで、遺伝・環境論も含めて、その社会に優勢な人間観は、当然各種の社会制度に反映され、それ自体次の世代の発達環境となる。たとえば、遺伝論の優勢な社会では、また優れた遺伝因子の選択に力が注がれ、そのための学校の設立などの社会的制度が整えられ、こうして遺伝要因はさらに強化される(社会・文化的淘汰(とうた))。こうした複雑な様相は、他の生物種にはけっしてみられない特色であり、この問題に関する論議や資料がどのような社会的条件のもとで得られたものか、つねに考慮する必要がある。[藤永 保]

研究方法の特色

人間性についての遺伝・環境問題は、その研究法にも特色を生じる。遺伝機制の究明には、従来の生物学では、交配実験の手法が有力であったが、人間の場合には人道上の理由により不可能である。また、知能や性格などは、身体的形質と異なり直接の計測はできないから、なんらかの媒介測定手段に依存しなければならない。知能については、知能検査によるIQ(知能指数)という一元化された数値によって関係が算定されているのでまだしも簡単であるが、性格は、全体を一元化された数値で表すのは不可能に近く、局部的特性の数値化かその他の質的データに頼ることになる。また、知能や性格はテストの得点に頼って数量化するといずれも連続的な変異を表す連続変量となり、通常の遺伝学で扱う離散的変量(質的差異)とは異なってくる。目の色のような離散的変量は典型的遺伝子モデルに適合するが、連続変量については仮説的ポリジーン(同義遺伝子、量遺伝子)モデルpolygene modelが想定されるだけである。
 以上が相まって、研究法も推測的、間接的なものとなる。代表的方法として、一卵性と二卵性双生児の対(つい)の間の差を比較して、一卵性のほうがより類似度が高ければ(二卵性双生児は環境要因は同一であるが、遺伝的には兄弟姉妹と同等で一卵性より類似性は低いから)この形質は遺伝因子の寄与が高いと推論する双生児法、これを拡張して血縁関係が近いほど形質類似度も高くなるか否かをみる血縁法、血縁法の変形として養子に出された子の特性が実父母、養父母のいずれに似るかをみる養子研究法、ある特質が、ある家系に繰り返し出現するかをみる家系分析、アイスランドのように人口移動が少なく、学歴、職歴、病歴など各種の公的資料が長期にわたり保存されているような国で、たとえばある家系で統合失調症(分裂病)の長期間の出現率を算定したり、学歴と近視(近視者は知能が高いと西欧社会では信じられている)との相関関係をみるなど、家系法を大規模に拡張した大量統計などの各方法が数えられる。[藤永 保]

知能の固定観

イギリスの心理学者バートCyril Lodowic Burt(1883―1971)が大ロンドン地区で集めた資料をアメリカの教育心理学者ジェンセンArthur R. Jensen(1923― )がまとめたもの(1968)によると、一卵性双生児では、同環境で育とうと異環境であろうとIQの類似度はきわめて高い。逆に、血縁関係が薄くなるほど類似度は低くなる。ここからジェンセンは、IQが身体的形質中もっとも遺伝規定性の高いとされている身長と同程度に遺伝の寄与を受け、その遺伝規定性は80~90%に及ぶとした。ジェンセンは、アメリカの白人と黒人との間には15~20に及ぶIQ差があるが、その大部分は遺伝的人種差によるから、黒人低階層児への補償教育は無意味だと、ジェンセニズムJensenismといわれる過激な人種主義を唱えて大センセーションをよんだことでよく知られている。また、アメリカの発達心理学者スキールズH. M. Skeels(1901―1970)らによる養子研究は、養子の年齢が高くなるほどそのIQは実父母のそれと相関が高くなることを明らかにした。これらは、知能の固定観を支持している。
 しかしジェンセンの研究によると、学業成績は血縁よりもむしろ生育環境により強く影響されることから、すべての知的能力が遺伝によるとはいえない。また、バートの資料は、保守色の強いイギリスにおいて、しかも白人のみのものを集めているので、遺伝に有利な結果が現れるのはなかば当然ともいえる(バートの資料には、その後粉飾の疑念も生じている)。スキールズらの資料においても、養子のIQ自体は実父母のそれより20点程度高いと推定され、その絶対水準にはむしろ環境の影響が大きい。また、第二次世界大戦による米軍のドイツ占領後の白人・黒人両混血児群の平均IQにはなんら差がなかったので、アメリカの人種間のIQ差は環境差に起因するところが大きいと推定できる。[藤永 保]

性格の遺伝説

性格の遺伝説については、数量化が困難なため、クレッチマーなどのいうように統合失調症が通常の分裂気質の誇張された形態であるなら、統合失調症の遺伝関係をみるのが早い。アメリカの精神科医コールマンFranz Josef Kallmann(1897―1965)の古典的な資料によると、一卵性双生児の統合失調症の発症一致率は、同環境、異環境を問わず分裂病性人格まで含めるならばほとんど100%であるのに対し、二卵性のそれは兄弟姉妹とほぼ同一であるから、統合失調症はほぼ完全に遺伝によるとされた。
 しかし、この資料は相対的に重症の入院患者だけのものであるから偏りが大きい。1960年代以降の北欧諸国における全人口調査からの資料に基づいて算定すると、一卵性双生児の発症一致率もたかだか60~70%程度にすぎない。また、養子研究の結果も、統合失調症の親から生まれた子が養子にいったときの発病率は1%にすぎず、発症には遺伝因子のみでは不十分で、少なくともストレスの高い初期環境といった環境因子が重要であることが知られてきた。[藤永 保]

ヒトゲノム・行動遺伝学・ミーム

1970年代からの分子生物学と遺伝学の進歩は真に目覚ましい。種および個体としてのヒトの特質を形成するための情報の担い手である遺伝子(DNA=デオキシリボ核酸の特定配列、文字列になぞらえられている)のプール(ヒトゲノム)の解読は、ほぼ終わった。その結果、さまざまな興味深い知見がみいだされた。たとえば、チンパンジーとヒトのゲノム間の類似度はチンパンジーとゴリラ間の類似度より高い。従来、チンパンジーとゴリラは類人猿として一括され、ヒトはそこから厳密に区別されていたが、そのような分類法は適切ではなく、共通祖型種から約800万年前にまずゴリラが分岐し、ついで約600万年前にヒトとチンパンジーが分岐したと、進化の系統樹も書き変えられるに至っている。さらに遺伝子組換え作物やクローン羊が現われ、クローン人間の誕生も技術的には可能とされている。「遺伝と環境」問題も、まさしく新時代を迎えようとしている。
 これに伴って、一種の遺伝子万能論の風潮も広がりつつあり、かつての遺伝主義の遺産と相まって、遺伝子の制御が人間の至福をつくるとする過信も生まれつつあるようにみえる。しかし、ヒトの遺伝子は約4万種類あることがつきとめられた一方、これらの文字配列はヒトのDNA全体の約5%にとどまり、その他のDNAがどんな意味をもつものかはまだよくわかっていない。その働きがよくわかっている遺伝子も、なんらかの形質発現に有効と推定される遺伝子のせいぜい3分の1にとどまるという。これについては今後の研究が待たれることも忘れてはならない。また、ゲノム解析の最終目標は、一つ一つの遺伝子の機能の解明にある。その意味で、人間のさまざまな形質の形成に個々の遺伝子がどのようにかかわるかについては、遺伝子と形質との対応関係の解明が重要となる。精神的特質は身体的なそれとは異なり、直接、目に見えないものであるため、対応関係もはるかに複雑となり、依然として初めに述べた間接的または推測的方法が、今後とも必要である。
 1980年代以降、血縁法と大量統計法の長所を複合したような研究法がアメリカ、イギリスを中心に発展し、行動遺伝学とよばれるに至った。その特色は、双生児を中心とした大量の偏りのないサンプルを集め、それらの資料に洗練された数理解析的手法を適用するところにある。
 行動遺伝学による主要な知見を4点だけあげるなら、第一は、精神的形質についての遺伝規定性は、従来信じられていたほど高くはないと推測される。IQや統合失調症などの遺伝規定性は50%程度と見積もられており、従来根強かった宿命論は妥当とはいえない。
 第二は、遺伝=環境の交互作用についての数量的分析が進み、それに基づいて、新しい学習方式が提唱されている。たとえば、日本の青少年の英語学習において、IQが高い場合には、文法中心の教授法が有効であり、一方、IQが相対的に低ければ話しことば=コミュニケーション方式の効果が高いことなどがみいだされている。
 第三点として、従来、環境要因として強調されてきたのは共有環境の影響である。知的特性については共有環境の影響が大きいことが確かめられた反面、多くの特性形成において重要なのは、むしろ非共有環境の影響であることが知られた。兄弟姉妹の個性の違いが際だつ場合は、そのような要因が働いていると推測されよう。
 第四に、遺伝=環境相互作用の効果を数量的に検出する努力が払われている。
 このように遺伝学の進歩は飛躍的ともいえるが、一方、遺伝子のみによっては説明困難な事実も明らかになってきた。ヒトとチンパンジーのゲノム間には1%程度の違いしかないにもかかわらず、両者の生活様式の差、とりわけその変化の速さには質的な違いがある。そうした差を説明するために、イギリスのドーキンスRichard Dawkins(1941― )のような社会生物学者は、ミームという概念を提起している。ミームとは、文化的情報伝達の単位をさす。カラスは、害敵としての人間個体を識別し、この情報を仲間に伝達し、集団としての攻撃行動をとる。このような情報の伝達と複製は遺伝子には依存しないが、遺伝子に劣らず強固なものといえる。さまざまな動物種にわたり、文化の存在が広く認められるに至り、一般に高次の種ほどより複雑多様となることも知られてきた。しかし、ヒトにおける文化の複雑性と多様性は、自然界にまったく類をみない。ミームの概念は必ずしも明確とはいえないが、たとえば一夫一妻制、学校教育制度などは文化的普遍性をもつ傾向が高いことを考えると、さらに追究される必要があろう。
 以上のように知能や気質の固定観は古典的な形のまま支持することはできない。遺伝が発達要因の一つをなすことは疑いないが、環境要因の比重は従来考えられていたよりもはるかに大きいようである。また遺伝と環境とが相互に加速しあい、あるいは抑制し合うという相互作用の重要さもよく認識されるに至った。現在の主要問題は、したがって、単純な「遺伝か環境か」ではなく、「生物の発達はいかになぜ何によっておこるか」という発達機制の解明の方向に向けられつつある。[藤永 保]
『古庄敏行著『知能の遺伝学』(1971・酒井書店) ▽スターン著、田中克巳他訳『人類遺伝学』(1976・岩波書店) ▽岩井勇兒・子安増生著『個人差の心理学』(1980・黎明書房) ▽ギリー著、渡辺格・志村紗千子訳『人間を決めるもの』(1981・紀伊國屋書店) ▽安藤寿康著『心はどのように遺伝するか』(2000・講談社) ▽ラター著、安藤寿康訳『遺伝子は行動をいかに語るか』(2009・培風館) ▽松原謙一著『遺伝子とゲノム』(岩波新書)』

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