那谷寺(読み)ナタデラ

デジタル大辞泉 「那谷寺」の意味・読み・例文・類語

なた‐でら【那谷寺】

石川県小松市にある高野山真言宗の寺。山号は自生山。開創は養老元年(717)、開山は泰澄で、岩屋寺と称した。寛弘4年(1007)花山法皇が改称、勅願寺となる。のち焼失したが、江戸初期に加賀藩主前田利常が復興。那谷の観音。

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精選版 日本国語大辞典 「那谷寺」の意味・読み・例文・類語

なた‐でら【那谷寺】

  1. 石川県小松市那谷町にある高野山真言宗の寺。山号は自生山。養老元年(七一七)泰澄(たいちょう)が創建した自生山岩屋寺に始まる。寛和年間(九八五‐九八七)花山法皇が、紀伊国那智山青岸渡寺)と美濃国谷汲山華厳寺)との各一字をとり現在名に改称して中興。那谷観音。

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日本歴史地名大系 「那谷寺」の解説

那谷寺
なたでら

[現在地名]小松市那谷町

那谷集落南方にあり、自生山と号し、高野山真言宗別格本山。本尊十一面千手観音。寺伝によれば養老元年(七一七)泰澄の開山で、白山登頂の折この地の岩屋に泊した泰澄が、夢にみた十一面千手観音像を刻み安置して自生山岩屋寺と称したという。寛和年中(九八五―九八七)花山法皇が西国三十三所観音霊場の第一番紀伊国那智なち山と第三三番美濃国谷汲たにぐみ山の各一字を取って那谷寺と改めたと伝える(三壺記)。長寛元年(一一六三)原形が成立したとされる「白山之記」に中宮「三个寺」の一つとして「那谷寺号岩屋寺」とみえる。安元二年(一一七六)七月、加賀目代藤原師経の非法を訴えて国衙に押寄せた白山中宮大衆のなかに「奈谷寺」も含まれ、翌年比叡山への愁訴にも同意している(「源平盛衰記」巻四涌泉寺喧嘩事)。暦応二年(一三三九)から康永二年(一三四三)の間と推定される六月七日の真如書状(金沢文庫文書)によれば、能美のみ軽海かるみ郷は白山中宮八院を影響下におく「那他寺」に恩賞として与えられたとの主張がみえる。これは「那多寺」が最初から足利尊氏方につき、南朝方についた中宮八院の僧たちを追落した軍忠によるものという(「某書状」同文書)

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「那谷寺」の意味・わかりやすい解説

那谷寺
なたでら

石川県小松市那谷町の山中にある高野山真言(こうやさんしんごん)宗の寺。自生山と号し、俗に那谷観音(かんのん)堂という。本尊は千手(せんじゅ)観音。717年(養老1)泰澄(たいちょう)が千手観音像をつくって安置し、岩屋寺と称したが、1006年(寛弘3)花山(かざん)法皇が行幸して観音三十三身の姿を見、西国三十三所の第一番那智(なち)山(和歌山県、青岸渡寺)と第33番谷汲(たにぐみ)寺(岐阜県)の名をとって那谷寺と改め、如意輪観音像を納めて勅願所とした。のち焼失したが、1640年(寛永17)加賀藩主前田利常(としつね)が諸堂を復興し、現に本堂、三重塔護摩堂鐘楼、書院および庫裏(くり)(以上、国重要文化財)などがある。境内は景勝の地にあり、国名勝の庫裡(くり)庭園のほか、花山天皇菩提(ぼだい)塚、芭蕉(ばしょう)塚などがある。

[勝又俊教]


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デジタル大辞泉プラス 「那谷寺」の解説

那谷寺(なたでら)

石川県小松市にある寺院。高野山真言宗別格本山。山号は自生山。神仏習合の長い歴史を持つことから、十一面千手観音のほか、白山比め神(「め」は口へんに羊)、天然の岩山洞窟を本尊とする。寺院茶庭、琉美園は紅葉の名所として知られ、国の名勝に指定。本堂その他の多くの建物が重要文化財。

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事典 日本の地域遺産 「那谷寺」の解説

那谷寺

(石川県小松市那谷町ユ122)
美しき日本―いちどは訪れたい日本の観光遺産」指定の地域遺産。

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