能の曲名。五番目物。鬼物。世阿弥作か。シテは鬼神。旅の山伏(ワキ)が大和の春日野に着くと,由(よし)ありげな池がある。来かかった野守の老人(前ジテ)に尋ねると,野守の鏡という名だと教える。それは,自分たちのような野守が鏡の代りにするからそう呼ばれるのだが,本当の野守の鏡は,昔,鬼が持っていた鏡で,その鬼は,昼は野守の姿となり,夜は鬼の姿となってここの塚に住んでいたのだという。山伏は,〈はし鷹の野守の鏡得てしがな……〉という古歌を思い出して質問する。老人は,それもこの水を詠んだもので,昔,帝の鷹狩りのおり,鷹の行方を見失って捜したとき,野守が水中に鷹の姿があることを教えた。それは木の上にいた鷹の影が水に写っていたもので,鷹の行方がわかって〈はし鷹の……〉の歌が詠まれたのだと物語り(〈語り・上歌(あげうた)〉),塚の中に姿を消す。夜に入ると塚の中から鬼神(後ジテ)が現れ,天上界から地獄の底までを映し出す不思議な鏡を山伏に与え,大地を踏み破って去って行く(〈舞働キ・ノリ地〉)。
鬼物だが,激しい動きを見せるだけの能ではなく,終始,一種の神秘性を感じさせる点が注目される。鏡を,宇宙の真実を解き明かす哲理の象徴とみることもできよう。
執筆者:横道 万里雄
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
能の曲目。五番目物・切能。五流現行曲。世阿弥(ぜあみ)作。出典は『奥義抄(おうぎしょう)』『袖中抄(しゅうちゅうしょう)』などの歌学書。羽黒山の山伏(ワキ)が大和(やまと)国春日野(かすがの)を訪れる。野の番人である野守の翁(おきな)(前シテ)は山伏の質問に応じ、野守の鏡の故事を物語る。鬼神の持つ鏡とも、天子の狩りのとき梢(こずえ)に逃げた鷹(たか)を映した泉を野守の鏡ともいう二説である。昔をしのび涙する翁は、やがて野の塚に消え、まことの鏡を見たいと祈る山伏の前に、鬼神(後(のち)シテ)が鏡を持って現れる。宇宙のすべて、天上から地獄のありさまのことごとくを映し出す大きな鏡の奇跡を見せ、大地を踏み破ってふたたび地の底に帰っていく。歌物語の優雅と、鬼の豪快さを融和させ、大人の風雅をメルヘンとした、世阿弥の名作の一つ。
[増田正造]
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