再生セルロース繊維の一種。1857年スイスのシュワイツァーE.Schweizerは,セルロースが酸化銅を含むアンモニア水に溶解することを発見した。初めはこの溶液を使って織物に防水性を与える試みなどがされた。91年にドイツのフレメリーFremeryとアーバンUrbanは,最初の銅アンモニアレーヨンを紡糸したが,ティーレE.Thieleが1901年に,ストレッチ紡糸法を発明して初めて実用になる糸が作れるようになった。ティーレはベンベルグJ.P.Bembergに雇われ,この2人によって細くて強い人絹が製造された。銅アンモニアレーヨンはベンベルグレーヨンBemberg rayon,キュプラcupraなどと呼ばれる。
銅アンモニアレーヨンはビスコースレーヨンとともに,再生セルロースであり,多くの性質はビスコースレーヨンに類似している。銅アンモニアレーヨンのほうがビスコースより値段が高いことと,より細い繊維を作ることができることが両者のおもな違いである。たとえば1.2デニールくらいの非常に細い繊維が作れるので,60本のフィラメントを合わせて,75デニールの糸にすることができる。銅アンモニアレーヨンの化学構造はセルロースと同じである。原料としてはコットンリンターしか使われなかったが,現在はα-セルロース含量の高い(日本では99%のものを多く使用)精製木材パルプも一部使用されている。コットンリンターは希薄苛性ソーダで150℃で煮沸して精製後,次亜塩素酸ナトリウムで漂白される。こうして得られた精製セルロースは適当量のアンモニア水,硫酸銅および苛性ソーダと混合され,透明な青色溶液になるまでかくはん(攪拌)される。4%の銅,29%のアンモニアおよび9~10%のセルロースを含む紡糸溶液は,脱気・ろ過後ニッケル製紡糸口金から水中に押し出されて,大部分のアンモニアといくらかの銅が除去されることによって,セルロースが再生される。押し出されたフィラメントは延伸,酸による中和ののち巻き取られる。
強度は標準時ステープルで2.9~3.4g/デニール,フィラメントで1.8~2.7g/デニールであり,湿潤時はそれぞれ2.0~2.5g/デニールおよび1.1~1.9g/デニールと約70%に低下する。燃焼しやすく,180℃くらいで炭化する。光が当たると劣化し強度が下がる。比重は1.50。染色は容易で,直接染料でよく染まる。銅アンモニアレーヨンのフィラメントデニールは絹のそれとだいたい同じくらいであり,光沢も似ているため,絹の優れた代替物である。用途はその柔軟さと触感のよさのため衣料用に適し,肌着,ファンデーション,ランジェリーなど種々の婦人用下着類に好まれ,洋服裏地,布団地などにも用いられる。
執筆者:瓜生 敏之
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…絹糸に似た繊維を作るのは化学者の夢であって,1882年に硝化法人絹が発明され,92年にビスコース人絹(ビスコースレーヨン)が作られ1904年に工業生産に移され,今日でも世界各国で大量に作られている。銅アンモニア人絹cuprammonium rayonはキュプラcupraまたはベンベルグ(商品名)と呼ばれ,製法の発明はビスコース法より早く1890年であり,97年に初めて工業化された。ベンベルグは天然絹糸に似た外観と手ざわりをもつ高級人絹であるが,生産費が高いため,生産量はビスコースレーヨンよりはるかに少ない。…
…日本には1905年レーヨン糸が初めて商品として輸入された。銅アンモニアレーヨン(キュプラ)はセルロースが酸化銅を含むアンモニア水溶液に溶けるという1857年のシュワイツァーE.Schweizerの発見に基づき,ドイツで91年にフレメリーM.FremeryとウルバンJ.Urbanが最初に紡糸した。しかし,初めて有用な人絹が作られるようになったのは,1918年にティーレE.Thieleが発明した延伸紡糸法によってである。…
※「銅アンモニアレーヨン」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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