現小県郡和田村と現諏訪郡
中山道中最大の難所とされ、和田宿と下諏訪宿の宿間里程は五里一八町の長丁場で、道幅六―七尺、急坂多く降雪、厳寒のみならず、降雨、濃霧の時は途中に人家がなく難渋をきわめた。享保九年(一七二四)の和田村指出帳(和田村誌)によると、幕府はこの峠に
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
東京都八王子市西端と神奈川県相模原市(さがみはらし)緑(みどり)区との境にある峠。標高688メートル。江戸時代、甲州街道の脇(わき)往還であった陣馬(じんば)(案下(あんげ))街道の峠で、八王子から北浅川沿いに恩方(おんがた)、案下を経て上野原(山梨県)に至る。現在は陣馬山の登山口で、和田峠から陣馬峠、明王(みょうおう)峠、景信(かげのぶ)山、小仏(こぼとけ)峠の尾根伝いのコースは眺望の美しさで知られる。なお和田峠東方の関場に、旅人、物資の出入りを監視した口留(くちどめ)番所跡が、近くの琴平住吉神社に中村雨紅作詞の「夕焼小焼」の碑がある。
[沢田 清]
長野県中央部、諏訪(すわ)郡下諏訪町と小県(ちいさがた)郡長和町(ながわまち)の境界にある峠。標高1531メートル。国道142号(中山道(なかせんどう))が通じる。近世には中山道が現在の峠の西方1キロメートルの所(1615メートル)を通り、中山道の峠のなかで最大の難所であった。そのため幕府は峠に唐沢(からさわ)、東餅屋(ひがしもちや)などの休み場を許可した。1877年(明治10)に旧峠の東の鞍部(あんぶ)(1570メートル)を通る道ができ、さらに1896年には最近まで使われていた峠(1531メートル)ができた。明治期には諏訪の製糸工場で働く女工や原料繭(まゆ)などが馬車で峠を越えた。峠付近は、打製石器の原材である黒曜石の産地で、峠東方の男女倉遺跡群(おめぐらいせきぐん)は黒曜石を用いた石器製作の跡と推定される。また今日でもブローチなどに加工されている。1978年(昭和53)、標高の低い位置で峠下を通過する有料の新和田トンネルが開通し、峠を越す国道142号部分の交通量は少なくなった。
[小林寛義]
『市川健夫著『信州の峠』(1972・第一法規出版)』
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…中心集落の和田は中山道の宿駅として発達した。村の南西には中山道随一の難所といわれた和田峠があり,付近は石器時代から黒曜石の産地であった。新和田トンネル開通(1978)後は諏訪地方との往来が容易になり,また美ヶ原と茅野市を結ぶビーナスラインを利用した観光客が増えた。…
※「和田峠」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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