出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例
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長岳寺
ちようがくじ
[現在地名]天理市柳本町
山辺の道に沿った釜口山に所在。釜口山と号し、高野山真言宗。本尊阿弥陀如来。上長岡集落にあることから長岳寺といい、俗に釜口大師ともいう。創建は長岳寺金剛身院旧記に「当山開基者弘法大師五十一才之開基也(中略)本願者大乗院御門跡聖信大僧上」とあり、また伽藍開基記にも「和州釜口山長岳寺者以高野大師為開山始祖」とある(大和志料)。普賢院記録(寺蔵文書)によれば嘉禄元年(一二二五)八月に叡尊が釜口別院律家である霊山院(現天理市)の僧静慶について修行したこと、弘安四年(一二八一)に叡尊が梵網経を講じたことなどが知られる。鎌倉時代には興福寺大乗院の末寺となったらしい。室町時代には塔頭普賢堂が大乗院領大市荘の下司職に付いている(享徳二年「大乗院領段銭引付」内閣文庫)。文亀三年(一五〇三)二月、大火により焼失(大乗院日記目録)。天正八年(一五八〇)の指出検地のとき寺領は三〇〇石であったが、羽柴秀吉の時代に没収された。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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長岳寺
ちょうがくじ
奈良県天理市柳本(やなぎもと)町にある高野山(こうやさん)真言(しんごん)宗の寺。山号は釜口山(かまのくちさん)。通称、釜口大師とよばれる。本尊は阿弥陀(あみだ)三尊。山号の由来は、当地が日本武尊(やまとたけるのみこと)の第10子釜口王の遺跡であることによる。824年(天長1)に淳和(じゅんな)天皇の勅願により弘法(こうぼう)大師空海が創建したと伝え、もと大和(おおやまと)神社の神宮寺であったという。鎌倉時代には興福寺大乗院の末寺となったが、1602年(慶長7)徳川家康から朱印寺領100石を寄進された。江戸時代末より大師信仰の中心地として知られている。五智(ごち)堂、延命殿、庫裡(くり)、鐘楼門はいずれも国の重要文化財。本尊の阿弥陀三尊像は仁平(にんぴょう)元年(1151)の墨書銘があり、玉眼嵌入(かんにゅう)仏では最古のもので、多聞天(たもんてん)・増長天像とともに国の重要文化財に指定されている。山内には浄土庭園、庫裡近くに鶴亀庭園がある。
[祖父江章子]
出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例
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出典 日外アソシエーツ「事典・日本の観光資源」事典・日本の観光資源について 情報
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