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阿久遺跡 あきゅういせき

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

阿久遺跡
あきゅういせき

長野県,原村にある縄文時代前期の祭場を含む集落跡。 1976~78年に中央自動車道建設に伴う事前調査として調査された。大規模な祭場をもつ,まれな遺跡とわかり,保存運動が起ったが,遺跡は道路の下に埋めて残す方法がとられた。遺構は7期に分けられ,初めは馬蹄形に住居が並ぶ集落から,やがて膨大な数の土坑,集石,立石からなる祭場が中心になっていく。大規模な祭場の様子は,従来の縄文時代前期の社会についての考えを一変させるものとなった。

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朝日新聞掲載「キーワード」の解説

阿久遺跡

1975年からの発掘調査で大規模な縄文時代前期の環状集石群などが発掘された。青森県三内丸山遺跡が発掘されるまで、日本一大きな縄文遺跡だった。79年に国史跡に認定され、遺構などは埋め戻された。

(2015-10-04 朝日新聞 朝刊 長野東北信・1地方)

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百科事典マイペディアの解説

阿久遺跡【あきゅういせき】

八ヶ岳西麓の原村にある縄文時代前期の集落遺跡(史跡)。1975年から4年間にわたる調査で,立石・列石・掘立柱建物をもつ中央の広場をとりかこんで,直径100mにおよぶ集石群,土坑群,その外側からは竪穴住居跡が多数発掘された。
→関連項目原[村]

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世界大百科事典 第2版の解説

あきゅういせき【阿久遺跡】

1975年中央高速道路の建設工事に伴って,長野県諏訪郡原村柏木地籍で発見された縄文時代前期の大集落遺跡。八ヶ岳西麓の台地上,推定約2万1000m2の範囲にひろがる遺跡で,約4000m2が発掘され,その範囲からだけでも,前期関山期30,黒浜期7,諸磯期11の竪穴住居址群が発見され,それぞれの時期に径100m近い環状集落の一部を構成していたものと考えられる。こうした住居址群とともに特筆される遺構は,掘立柱建物址と環状集石群,土壙群である。

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国指定史跡ガイドの解説

あきゅういせき【阿久遺跡】


長野県諏訪(すわ)郡原村柏木にある縄文時代の遺跡。阿久川と大早川に挟まれて西に延びる、尾根の幅が最大で200mある丘陵上に位置する。縄文時代前期には尾根上の丘陵が発達した八ヶ丘西南麓の適地を選んで大規模な集落が形成され、八ヶ岳西南麓遺跡群と呼ばれるが、阿久遺跡は馬蹄形集落として注目される縄文時代前期の遺跡である。原村の北には茅野(ちの)市の尖石(とがりいし)遺跡、南には富士見町の井戸尻(いどじり)遺跡群など、周辺には縄文中期を中心とする大遺跡が存在する。阿久遺跡は集落の構造と変遷、特色ある掘立柱遺構、広場を囲む配石帯と中央の石柱・石列などからその時代をうかがえ、中期縄文文化への移行を示す重要な遺跡である。関山(せきやま)期、黒浜(くろはま)期、諸磯(もろいそ)A・B期の3期にわたって大きく変化ており、関山期には丘陵上に円形広場を設けてその外周に幅30~70mの住居域をめぐらせ、広場から発見された掘立柱遺構は建物か囲柵とされる重要な遺構である。黒浜期の広場は周囲に馬蹄形の住居域があるが、掘立柱遺構は発掘されていない。諸磯A・B期には集落の構造に大変化が見られ、丘陵上に円形広場を設けて外周には幅25~45mの配石帯(ストーンサークル)がめぐり、その外側に住居域がある。これまでに例のない配石帯は、河原石を小範囲に集めた集石で、10基前後の集石からなる集石群である。調査地区内では12群が見られ、祭祀的要素が強く、円形広場中央には高さ1.34mの石柱が立ち、その周囲を平石で円状に囲んで北東へ大きな平石を2枚ずつ対にした通路状遺構があり、集落や広場の中心としての機能を果たしていたと思われる。出土した土器や石器の一部は、千曲(ちくま)市の県立歴史館や原村歴史民俗資料館(八ヶ岳美術館)で公開されている。JR中央本線茅野駅から車で約20分。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

阿久遺跡
あきゅういせき

長野県諏訪(すわ)郡原村柏木(かしわぎ)、八(やつ)ヶ岳南西麓(ろく)標高約900メートル、大早(おおはや)川と阿久川に挟まれた丘陵上にある縄文時代前期の遺跡。1975年(昭和50)以来4年間の調査で、縄文前期住居址(し)64軒、集石、土壙(どこう)約800基のほか、径100メートルに及ぶドーナツ状の環状集石群1基、1辺5メートル前後の方形柱列13基と、膨大な土器、石器などの遺物が出土した。なかでも方形柱列と祭祀(さいし)的な環状集石群は、日本最初の発見であり、その規模、内容は縄文時代前期観の転換を余儀なくさせた。1979年国の史跡に指定され、1982年には遺跡隣に収蔵庫が建設された。[樋口昇一]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

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