デジタル大辞泉
「青松寺」の意味・読み・例文・類語
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出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例
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青松寺
せいしようじ
[現在地名]港区愛宕二丁目
愛宕下にある曹洞宗寺院。万年山と号し、本尊は釈迦如来。文明八年(一四七六)に太田道灌が雲岡舜徳を開山として貝塚(現千代田区)に創建。慶長五年(一六〇〇)に現在地に移転した。江戸時代には曹洞宗江戸三ヵ寺の一寺で、豊島郡渋谷村に二二石の朱印地を拝領。地中に清岸院・考寿院などがあった(寺社書上)。奴地蔵とよばれる槍持勘助の墓がある。勘助は松平越後守宣富の槍持で本名は芦田義勝。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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青松寺
せいしょうじ
東京都港区愛宕(あたご)にある曹洞(そうとう)宗系単立寺院。万年山と号し、曹洞宗関府六か寺の一、曹洞宗江戸三か寺(他は高輪(たかなわ)の泉岳寺、橋場の総泉寺)の一に数えられた。1476年(文明8)太田道灌(どうかん)が雲崗舜徳(うんこうしゅんとく)を開山として貝塚(現千代田(ちよだ)区平河(ひらかわ)町)に創建し、1600年(慶長5)に現在の地に移された。末寺に青竜寺(せいりゅうじ)をはじめ19か寺、孫末寺は10か寺余りあり、本山の格式をもつ寺であった。江戸時代には芸州(広島県)の浅野家、長州(山口県)の毛利(もうり)家、土佐(高知県)の山内家、越前(えちぜん)(福井県)勝山の小笠原(おがさわら)家、石州(島根県)津和野の亀井家、越前敦賀(つるが)の酒井家など、多くの大名の菩提(ぼだい)寺として栄えた。寺の背後の丘は含海山(がんかいさん)とよばれて眺望のよいことで知られた場所であり、境内には近世の武将亀井滋矩(これのり)、儒者井上金峨(きんが)、維新期の志士広沢真臣(さねおみ)などの墓がある。
[菅沼 晃]
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青松寺【せいしょうじ】
東京都港区にある曹洞宗の寺。1476年太田道灌が始め,雪崗俊徳が開山。武蔵貝塚より移す。曹洞宗江戸三ヵ寺の一つ。浅野,毛利,山内等諸大名の菩提(ぼだい)所であった。
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青松寺
せいしょうじ
東京都港区芝愛宕町にある曹洞宗の寺。万年山と号する。文明8 (1476) 年に太田道灌が草創し,雲崗舜徳和尚を開山第1世とする。江戸時代には,総泉寺,泉岳寺と並び曹洞宗江戸三ヵ寺の一つであった。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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