野菜類の取引を専門とする市。消費者を対象とするものと,仲買・小売を対象にするものがある。前者は都市周辺の農民が直接都市へ生産物を持ち出して一定の場所に集まり,短時間に売買するものが多い。後者は出荷者が問屋に販売を委託するもので,大都市に多く見られ,大量の取引が行われる。ふつう青物市,青物市場という場合には後者をさしている。歴史的には前者から後者へ発展したものが多い。近世には大坂の天満,京都の八百屋町,名古屋の枇杷島の青物市場,江戸では三場所といわれた神田,千住,駒込の青物市場が著名である。
青物問屋の成立について,江戸本所四ッ目の青物市場の問屋は,はじめは野菜類の荷物を市に持ち出す近在の農民に湯茶を提供する水茶屋が荷主から野菜荷の売りさばきを委託され,しだいに成長して問屋と名のるようになったと伝え,同じく江戸中之郷竹町の青物問屋は,渡船場にあった葭簀(よしず)張りの水茶屋が野菜荷の委託を受けて販売するようになったのがはじまりであると伝えている。このような例は青物問屋の成立過程を説明するものであるとともに,青物市が成立する過程をも示しているものと言えよう。野菜類の取引は,道路わき,河岸ばた,空地などでも行われたが,このような青物問屋の庭や店先で行われるものもある。問屋は荷主と仲買・小売の間に立って取引を媒介し口銭を取った。口銭は商品別に定めたが,幕末に取引された慈姑(くわい)の例を見ると,神田市場では荷主から取引額の20%,仲買からは1荷につき銭200文を徴収している。また同じときに駒込,千住の両市場では荷主から1荷につき24文,仲買からは取引額の6~8%,振売からは8%を取っていた。口銭に対しては荷主側から問屋に対して,しばしば引下げの要求が出され争論となったことが多い。また,大都市における問屋の発展とともに,問屋の介在を避けて,生産者が消費者に直接野菜類を販売する青物市が,新しく成立することもあった。問屋は自己の取引方法を守るためにこれを抑えて争論になったこともある。
近世の城下町では領主が生鮮食品を確保し,また物価を抑制するために,青物市,肴市,あるいはその問屋を保護し,統制を加えることがあった。江戸の野菜類については神田の多町,連雀町,永富町の青物問屋が江戸城納入御用をつとめて,江戸での野菜類集荷に優先権を得ていた。千住,駒込などの江戸の入口に当たる周辺の青物問屋が成長して神田3町の問屋の集荷が困難になると,3町の問屋は集荷の優先権を主張してしばしば争論となった。この争論はやがて周辺の問屋が江戸城納入の補助機関となることで一応の解決を見た。こうして江戸への野菜類の集荷が進められ,明治維新を迎えることになる。
→青果市場
執筆者:伊藤 好一
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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