デジタル大辞泉
「顔師古」の意味・読み・例文・類語
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がん‐しこ【顔師古】
- 中国唐初の学者。陝西省万年県の人。顔之推の孫。字(あざな)は籀(ちゅう)。高祖と太宗に仕え、官は秘書監、弘文館学士に進む。「五経」を校定し、「五礼」を選定。「五経正義」の編集に参加し、また太子のために「漢書」に注釈を加えた。(五八一‐六四五)
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顔師古
がんしこ
(581―645)
中国、初唐の学者。字(あざな)は籀(ちゅう)。唐の太宗(たいそう)の貞観(じょうがん)年間、王朝によって行われた文化事業、すなわち書物の収集や校定、なかんずく『五経正義』の定本づくりを目的とした五経のテキストの校定、あるいは『隋書(ずいしょ)』の撰述(せんじゅつ)などに秘書監として参画した。主著の『漢書(かんじょ)』注は後漢の服虔(ふくけん)、応劭(おうしょう)以来の諸家の注釈を集成するとともに、祖父の顔之推(しすい)、とりわけ叔父の顔遊秦(ゆうしん)によって築かれた家学としての漢書学の成果を継承したものである。顔遊秦が大顔とよばれるのに対して小顔とよばれることがあるのはそのためである。そのほか『急就篇(きゅうしゅうへん)』の注、文字学、音韻学に関するノートというべき『匡謬正俗(きょうびゅうせいぞく)』などの著作がある。
[吉川忠夫 2016年1月19日]
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顔師古 (がんしこ)
Yán Shī gǔ
生没年:581-645
中国,初唐の文献学者。字は籀(ちゆう)。唐の太宗時代,王朝によって行われた文化事業,たとえば《五経正義》の定本づくりともいうべき《五経》本文の校定,《隋書》の撰述などに秘書監として参画。またその《漢書》注は後漢代以来の注釈の集大成であるとともに,祖父の顔之推,叔父の顔遊秦たちがきずいた家学の蓄積を継承する。そのほか《急就章》の注,文字学,音韻学に関するノート風の《匡謬正俗(きようびゆうせいぞく)》の著作がある。
執筆者:吉川 忠夫
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顔師古
がんしこ
Yan Shi-gu; Yen Shih-ku
[生]開皇1(581)
[没]貞観19(645)
中国,唐初の学者。名は籀 (ちゅう) 。字は師古。陝西の人。祖父の顔之推をはじめ,一族に学者が多い。隋の時代,長安で教育に従事し,唐が興ると中書舎人,中書侍郎として詔書の起草などを行なった。貞観4 (630) 年太宗の命を受けて五経のテキストの校定を行い,『大唐儀礼』 (100巻) の編纂に加わり,孔穎達 (こうえいたつ) らと『五経正義』の撰集にあたった。なかでも『漢書』に施した注が有名。正議大夫,秘書監を経て弘文館学士に終った。
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顔師古【がんしこ】
中国,唐の学者。字は籀(ちゅう)。顔之推(がんしすい)の孫。若年にして博覧,訓詁学に通じ,属文に長じた。太宗の時,秘書少監となり,孔穎達(くようだつ)と五経の文字を校勘し,五礼を撰定,太子承乾のために《漢書》に注を施した。ほかに《匡謬正俗》等がある。
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世界大百科事典(旧版)内の顔師古の言及
【十三経注疏】より
…以来経書の研究解釈が盛んに行われ,ことに後漢から魏晋南北朝時代にかけて多くの注およびその注を詳しくした疏が作られ([注疏]),経書解釈の多様化がもたらされた。唐による天下統一が実現すると,経書解釈の統合整理の必要が求められ,太宗はまず顔師古に命じて五経の定本を作らせ,つぎに孔穎達(くようだつ)に命じて経書の標準的解釈を作らせ,4次にわたる更定を経て大成した。これが《[五経正義]》である。…
※「顔師古」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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