馬融(読み)ばゆう

精選版 日本国語大辞典 「馬融」の意味・読み・例文・類語

ばゆう【馬融】

  1. 謡曲四番目物廃曲作者不詳。漢の帝の病気がいっこうに良くならないので、博士に占わせてみると、先帝無罪の馬融を江南江に沈めたたたりだと出る。そこで管弦講を行なってその跡を弔うと、馬融の霊が現われ、恨みを忘れ御代を祝福する。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「馬融」の意味・わかりやすい解説

馬融
ばゆう
(79―166)

中国、後漢(ごかん)の経学(けいがく)者。字(あざな)は季長(きちょう)。校書郎、郎中、武都郡、ならびに南郡太守、議郎を歴任。郎官としては東観(とうかん)の著述に従事し、同学の許慎(きょしん)の学殖に推服し、また班昭曹大家(そうたいこ)。班固(はんこ)の妹)から『漢書(かんじょ)』を兄(馬続(ばしょく))とともに学んだ。帝室の外戚(がいせき)鄧(とう)氏や梁(りょう)氏に関係して官位は停滞を繰り返し、また名族の出身(馬援(ばえん)の兄の孫)で驕慢(きょうまん)な性格と放逸奢侈(しゃし)の生活が重なった。学者としては通儒と称され、今古文(きんこぶん)の両学説の折衷と総合化を企て、著作に『春秋三伝(しゅんじゅうさんでん)異同説』や『詩』『書』『論語』『易(えき)』などの注釈、および『老子』『淮南子(えなんじ)』にも注し、道家思想にも造詣(ぞうけい)の深さを示した。思想や生活にも、生命を重んじ自由を尊ぶ老荘的傾向がみられる。辞賦(じふ)の作者として「広成頌(こうせいしょう)」「長笛賦(ちょうてきふ)」などが知られる。

[戸川芳郎 2016年1月19日]

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改訂新版 世界大百科事典 「馬融」の意味・わかりやすい解説

馬融 (ばゆう)
Mǎ Róng
生没年:79-166

中国,後漢の学者。字は季長。茂陵陝西省興平県)の出身。馬援の兄の子。外戚の鄧氏にさからったため,校書郎の官に10年間とどめられ,桓帝のとき南郡太守となり,中央に召されて議郎に任ぜられた。広く経籍に通じ,盧植(ろしよく)や鄭玄(じようげん)をはじめ数多くの弟子を養い,一代の大儒と仰がれた。《春秋三伝異同説》を著し,《論語》《詩》《易》や三礼(さんらい)など多くの書物に注釈し,古典の整理,訓詁の大成を志したが,惜しいことに,散逸して断片しか伝わらない。
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旺文社世界史事典 三訂版 「馬融」の解説

馬 融
ばゆう

79〜166
中国後漢 (ごかん) の学者
字 (あざな) は季長。陝西 (せんせい) の人。学者として任官させられ,安帝のとき地方官となった。経書 (けいしよ) の訓詁 (くんこ) 的研究を行い,鄭玄 (じようげん) ・盧植 (ろしよく) らの学者を育てた。『春秋三伝異同説』を著し,『孝経』『論語』『詩経』『易経』『尚書』など多くの書物の注を残したとされる訓詁学の祖。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「馬融」の意味・わかりやすい解説

馬融
ばゆう
Ma Rong

[生]建初4(79)
[没]延熹9(166)
中国,後漢の学者。字は季長。茂陵 (陝西省) の人。安帝~桓帝に仕え,太守となった。経学者として名高く,諸経の注釈書を著わした。弟子に鄭玄がいる。著書は『春秋三伝異同説』など多数あるが,断片が現存するだけである。

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