馬越恭平(読み)マゴシ キョウヘイ

20世紀日本人名事典 「馬越恭平」の解説

馬越 恭平
マゴシ キョウヘイ

明治〜昭和期の実業家 大日本麦酒社長;貴院議員(勅選)。



生年
天保15年10月12日(1844年)

没年
昭和8(1933)年4月20日

出生地
備中国後月郡木之子村(岡山県井原市)

別名
別名=馬越 化生(マゴシ ケショウ)

経歴
医家に生まれる。13歳で大阪の鴻池家に奉公し、明治維新後益田孝知遇を得、明治6年先収会社(三井物産の前身)に入社。9年三井物産設立時に横浜支店長に就任。24年三井物産を代表して日本麦酒の重役に就任し、同社の経営再建に成功。三井の中心的存在となるが、29年退社し、ビール事業に打ち込んだ。31年岡山県より衆院議員に選出。39年日本麦酒、札幌麦酒、大阪麦酒の合併による大日本麦酒設立に際し社長に就任。没年まで務めた。戦前大日本麦酒は一貫して独占的地位を占め、“ビール王”と称された。大正13年勅選貴族院議員になったほか、帝国商業銀行頭取を務めるなど、100以上の会社に関係し、財界の長老的存在であった。昭和4年日本工業倶楽部会長。茶人としても知られた。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「馬越恭平」の意味・わかりやすい解説

馬越恭平
まごしきょうへい

[生]天保15 (1844).10.12. 備中
[没]1933.4.20. 東京
明治・大正・昭和期の実業家。医者の二男に生まれ,大坂に出て商家に奉公。商才を見込まれて廻船業播磨屋の養子となったが,明治3(1870)年に益田孝と出会って影響を受け,1873年養家を去って益田の経営する先収会社へ入社した。同社は 1876年三井物産に引き継がれ,三井物産横浜支店支配人,常務理事などを歴任。社長の益田孝,副社長の木村正幹とともに「物産三人物」と呼ばれた。1896年三井を去り,以前から再建に尽力していた日本麦酒の社長に就任して販売の先頭に立ち,1906年同社と札幌麦酒(→サッポロビール),大阪麦酒が合併した大日本麦酒の社長に就任,「日本のビール王」と称された。また財界の元老として多数の事業会社に関係した。1898年衆議院議員当選,1924年貴族院議員勅選。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「馬越恭平」の意味・わかりやすい解説

馬越恭平
まごしきょうへい
(1844―1933)

実業家。備中国(びっちゅうのくに)木之子村(岡山県後月(しつき)郡)に医師元泉の次男として生まれる。興譲館に学んだのち大坂に出て、鴻池(こうのいけ)の丁稚(でっち)となったが、まもなく請われて播磨屋(はりまや)仁兵衛(公事宿(くじやど))の養子になった。益田孝(ますだたかし)に出会って啓発され、養家を去って上京し、先収会社に入社。その後身の三井物産でも商才を認められて、1892年(明治25)には同社元締役へと昇進した。1896年同社を辞し、日本麦酒(ビール)の社長に就任して、経営再建に尽力した。1906年(明治39)日本、札幌、大阪の3麦酒会社合同を実現させ、新立の大日本麦酒初代社長の席に着き、日本のビール王と称された。帝国商業銀行、富士瓦斯紡績(ふじがすぼうせき)ほか100を超える企業の役員を歴任した。

[西村はつ]

『大塚栄三著『馬越恭平翁伝』(1935・馬越恭平伝記編纂会)』


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改訂新版 世界大百科事典 「馬越恭平」の意味・わかりやすい解説

馬越恭平 (まごしきょうへい)
生没年:1844-1933(弘化1-昭和8)

明治・大正・昭和前期の実業家。備中国(岡山県)後月郡木之子村の医家に生まれる。13歳のとき大坂鴻池に丁稚(でつち)奉公し商人を志す。維新後上京,井上馨の先収会社を経て,1876年設立の三井物産へ入社,やがて重役になる。96年三井物産常務理事の辞任を機に三井を離れる。1906年独占会社大日本麦酒の発足とともに同社長に就任。一人一業主義を主張しビール業界の王と称され,東京電灯など多数の会社にも関係した。また茶人として,さらに貴族院議員に勅選されるなど政治家としても知られる。
執筆者:

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百科事典マイペディア 「馬越恭平」の意味・わかりやすい解説

馬越恭平【まごしきょうへい】

実業家。備中(びっちゅう)の人。13歳で大坂鴻池に丁稚奉公,維新後益田孝に招かれて井上馨(かおる)の設立した先収会社に入る。1876年三井物産の横浜支店長となったが1896年三井を離れ,のち日本麦酒醸造会社(大日本麦酒)社長,〈ビール王〉と呼ばれた。1924年貴族院議員。東京電灯,満鉄などにも関係。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「馬越恭平」の解説

馬越恭平 まごし-きょうへい

1844-1933 明治-昭和時代前期の実業家。
天保(てんぽう)15年10月12日生まれ。馬越元泉の次男。益田孝の知遇を得,先収会社ついで三井物産につとめた。明治29年日本麦酒(ビール)社長,39年大日本麦酒の設立で社長に就任。「ビール王」とよばれた。31年衆議院議員,大正13年貴族院議員。化生(けしょう)と号し,茶人,道具数寄としても知られた。昭和8年4月20日死去。90歳。備中(びっちゅう)(岡山県)出身。

馬越恭平 うまこし-きょうへい

まごし-きょうへい

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367日誕生日大事典 「馬越恭平」の解説

馬越 恭平 (まごし きょうへい)

生年月日:1844年10月12日
明治時代-昭和時代の実業家。日本工業倶楽部会長
1933年没

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