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馬越恭平 まごし きょうへい

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美術人名辞典の解説

馬越恭平

実業家。備中生。馬越元泉の次男。上京して益田鈍翁が社長を務めた先収会社を経て、設立時に三井物産に入社。横浜支店支配人、常務理事などを歴任。退社後帝国商業銀行頭取となり、さらに大日本麦酒を設立して社長に就任。衆議院議員貴族院議員を務めた。茶人・道具数寄としても知られた。昭和8年(1933)歿、90才。

馬越恭平

実業家。馬越元泉の次男。上京して益田鈍翁が社長を務めた先収会社を経て、設立時に三井物産に入社。横浜支店支配人、常務理事などを歴任。退社後帝国商業銀行頭取となり、さらに大日本麦酒を設立して社長に就任。衆議院議員、貴族院議員を務めた。茶人・道具数奇としても知られた。昭和8年(1933)歿、90才。

出典|(株)思文閣
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百科事典マイペディアの解説

馬越恭平【まごしきょうへい】

実業家。備中(びっちゅう)の人。13歳で大坂鴻池に丁稚奉公,維新後益田孝に招かれて井上馨(かおる)の設立した先収会社に入る。1876年三井物産の横浜支店長となったが1896年三井を離れ,のち日本麦酒醸造会社(大日本麦酒)社長,〈ビール王〉と呼ばれた。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

馬越恭平 まごし-きょうへい

1844-1933 明治-昭和時代前期の実業家。
天保(てんぽう)15年10月12日生まれ。馬越元泉の次男。益田孝の知遇を得,先収会社ついで三井物産につとめた。明治29年日本麦酒(ビール)社長,39年大日本麦酒の設立で社長に就任。「ビール王」とよばれた。31年衆議院議員,大正13年貴族院議員。化生(けしょう)と号し,茶人,道具数寄としても知られた。昭和8年4月20日死去。90歳。備中(びっちゅう)(岡山県)出身。

馬越恭平 うまこし-きょうへい

まごし-きょうへい

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書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

世界大百科事典 第2版の解説

まごしきょうへい【馬越恭平】

1844‐1933(弘化1‐昭和8)
明治・大正・昭和前期の実業家。備中国(岡山県)後月郡木之子村の医家に生まれる。13歳のとき大坂鴻池に丁稚(でつち)奉公し商人を志す。維新後上京,井上馨の先収会社を経て,1876年設立の三井物産へ入社,やがて重役になる。96年三井物産常務理事の辞任を機に三井を離れる。1906年独占会社大日本麦酒の発足とともに同社長に就任。一人一業主義を主張しビール業界の王と称され,東京電灯など多数の会社にも関係した。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

馬越恭平
まごしきょうへい

[生]天保15 (1844).10.12. 備中
[没]1933.4.20. 東京
明治・大正・昭和期の実業家。医者の二男に生まれ,大坂に出て商家に奉公。商才を見込まれて廻船業播磨屋の養子となったが,明治3(1870)年に益田孝と出会って影響を受け,1873年養家を去って益田の経営する先収会社へ入社した。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

馬越恭平
まごしきょうへい
(1844―1933)

実業家。備中国(びっちゅうのくに)木之子村(岡山県後月(しつき)郡)に医師元泉の次男として生まれる。興譲館に学んだのち大坂に出て、鴻池(こうのいけ)の丁稚(でっち)となったが、まもなく請われて播磨屋(はりまや)仁兵衛(公事宿(くじやど))の養子になった。益田孝(ますだたかし)に出会って啓発され、養家を去って上京し、先収会社に入社。その後身の三井物産でも商才を認められて、1892年(明治25)には同社元締役へと昇進した。1896年同社を辞し、日本麦酒(ビール)の社長に就任して、経営再建に尽力した。1906年(明治39)日本、札幌、大阪の3麦酒会社合同を実現させ、新立の大日本麦酒初代社長の席に着き、日本のビール王と称された。帝国商業銀行、富士瓦斯紡績(ふじがすぼうせき)ほか100を超える企業の役員を歴任した。[西村はつ]
『大塚栄三著『馬越恭平翁伝』(1935・馬越恭平伝記編纂会)』

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