素粒子・基本粒子を生成できる高いエネルギー領域でおこる現象の分析や法則の研究を行う物理学の一分野。物質がその化学的性質を保持しながら存在できる最小の単位である分子も、詳しく調べると奥深い構造をもっており、それは原子、原子核、素粒子、基本粒子という階層をなしていることがわかっている。しかも、もっとも基本的な階層に属する素粒子や基本粒子の大部分は安定ではなく、相互作用により、絶えず相互転化、生成消滅を繰り返している。これら素粒子・基本粒子を生成することのできるエネルギーを慣習的に高エネルギーと称する。したがって、高エネルギー物理学は素粒子物理学とほぼ同義語であるが、どちらかといえば、実験的研究の方に力点がおかれている。
今日までの素粒子物理学の研究は次のことを明らかにしてきた。素粒子の種類は多いが、それらは、光子、軽粒子、重粒子・中間子に分類できること。重粒子と中間子とはまとめてハドロンとよばれるが、真の素粒子ではなく、クォークおよびグルーオンとよばれる基本粒子の複合系であること。それに対して、電子やニュートリノなどの軽粒子はレプトンとよばれ、内部構造をもたない基本粒子と考えられること。これら物質の究極構成子間には、強い相互作用、電磁相互作用、弱い相互作用、重力相互作用の4種類の相互作用が働いて、運動、反応、生成、崩壊、消滅などの現象を引き起こしていること。それぞれの相互作用にはそれを媒介する特有の粒子が存在するが、4種類の相互作用は互いに無関係ではなくて、超高エネルギーの極限では統一されるであろうことなどである。すでに、電磁相互作用と弱い相互作用とは電弱相互作用として統一され、ほとんどすべての現象を矛盾なく説明できるので、標準模型とよばれるようになった。しかし、標準模型では質量がないとされるニュートリノにごく軽微だが質量がある可能性があることが実験的に確かめられるなど、標準模型も完全ではないことがわかり、それを超える理論が求められるようになっている。
さて、もっとも代表的なハドロンである陽子は、エネルギーの単位でほぼ1GeV(10億電子ボルト)の質量をもっており、その大きさは10-15メートルほどできわめて小さい。このような極微粒子の構造を観察するには、ずばぬけて性能のよい顕微鏡的手段が必要である。具体的には、空間分解能つまり波長が対象物の大きさより短い電磁波や物質波(素粒子に伴う波動つまり高速で運動する素粒子そのもの)を標的の素粒子に当て、その結果を観測する。波長が短いほど詳しく構造が研究できるはずだが、波長に逆比例して波動・粒子のエネルギーが高くなり、反応の際に運動エネルギーの一部が質量エネルギーに転化されて、素粒子の多重発生がおこってしまう。事はたいへん複雑である。
高エネルギーのハドロン‐ハドロン反応は、10-23秒ほどの極短時間内に、直径10-15メートルほどの極微空間内で終わってしまう。ハドロン間の反応は、それらの構成子であるクォークやグルーオンが複雑に関与して進行するのであるが、直接その経過を見るのは不可能である。反応点から最終的に飛散する素粒子群だけしか観測できない。その結果を分析することによって、素粒子、基本粒子の性質や相互作用についての知識を究めるのが、高エネルギー実験物理学の一般的な方法である。
素粒子反応をおこさせるためには、高エネルギーの素粒子の流れを人工的につくりだすことのできる加速器、または、人工加速器では得ることのできない、より高いエネルギーをもって地球に降り注ぐ宇宙線を利用する。そして、入射素粒子と標的物質との反応をおこさせ、その結果を観測するための測定装置と、得られた大量の情報を分析するためのデータ解析装置とを用いて研究が進められる。
加速器には、加速された素粒子を固定標的に衝突させる型と、素粒子どうしを正面衝突させる型とがある。電荷をもち、安定な素粒子が加速されて、高エネルギー反応をおこさせる線源として用いられる。ハドロンでは陽子、レプトンでは電子である。加速器の内部は高度の真空が保たれているので、最初の反応で発生した二次粒子のうち、比較的寿命の長い不安定成分を分離して貯蔵したり、二次線源として用い、不安定粒子による反応を研究することも行われている。固定標的型では1TeV(1兆電子ボルト)までの加速が可能になっている。正面衝突型では、相対論的関係を利用して、はるかに高いエネルギー領域相当の研究が行われる。1TeVのエネルギーをもつ素粒子どうしの正面衝突は、固定標的型に換算すると、2000兆電子ボルトに相当する。
素粒子反応で発生した二次粒子群の空間的、時間的なふるまいを観測するための検出器としては、飛跡を何らかの手段で写真撮影して調べる型と、オンラインで電気的に荷電粒子の通過位置と時刻を記録し、オフラインで飛跡の再構成を行う型とがある。一般に、前者は空間分解能(最高1マイクロメートル)に優れ、後者は時間分解能(最高、数十ピコ秒)に優れている。これら検出器を標的、吸収層、電磁石などと組み合わせた複合実験装置を用いて、生成粒子の数、射出角度、電荷、エネルギー、運動量、飛程などを測定する。記録された膨大なデータを、高速エレクトロニクスを応用した大型CPUを備えた解析装置にかけて、反応の総合解析、生成粒子の同定や寿命の測定などが行われる。
現在でも最高の空間分解能をもつ検出器である原子核乾板は、写真フィルムをベースにして半世紀以上前に開発され、数々の新粒子を発見するのに貢献した。しかし、記録された反応を解析するのにきわめて膨大な人手と時間とを要し、非能率であったので、西欧では見捨てられてしまった。日本では、その欠点を克服するための努力を継続し、ついに全自動測定解析装置を開発実用化することができた。その結果、未発見の最後のレプトンであったτ(タウ)ニュートリノの反応を世界で初めて検出するなどの輝かしい成果をあげることができた。現在では年間100万反応以上の精密解析が可能となり、ニュートリノ振動の結果を直接観測する大型国際共同研究のセンターとして役割を担うまでになっている。
高エネルギー物理学研究で用いられる加速器、測定器、解析装置は、最新の科学技術の成果を応用した巨大で精巧な装置であり、きわめて高価である。世界でも限られた数の大型加速器や大型の複合測定器を国際的な組織を組んで共同で建設し、それらを共同で利用する形で研究が進められている。より高エネルギー領域の研究を目ざす次世代の加速器は、全世界の協力で建設せざるをえないが、費用対効果比の観点から計画がストップしており、画期的なアイデアがまたれている。
一方、強い相互作用、電磁相互作用、弱い相互作用の3相互作用の大統一理論によれば、物質の基礎である陽子も安定ではなく、その寿命は1031年より長い可能性があること、また、宇宙の初期に形成された巨大磁気単極子が残存する可能性があることなども予言されている。そして、物質の究極構造を探る研究と壮大な宇宙の創生に関する研究とが直接の関係をもつに至っている。これらの検証には現在の加速器は無力なので、かつて優れた成果をあげた宇宙線による素粒子研究のように、加速器を用いない高エネルギー物理学研究が復活してきた。この面でも日本の貢献度は著しく、岐阜県吉城(よしき)郡神岡町(現、飛騨(ひだ)市神岡町)の神岡地下観測所(現、神岡宇宙素粒子研究施設)に建設されたカミオカンデ装置によって世界で初めて超新星からのニュートリノ束をとらえた成果や、標準模型を超える、ゼロではないニュートリノ質量の存在の可能性を指摘したスーパーカミオカンデ装置による成果などがあげられている。
20世紀中ころまでは限られた専門家のみの学問であった原子・原子核の階層の物理学の成果が、今日では広い自然科学や工学での不可欠の基礎知識となっているように、素粒子・基本粒子の階層の研究を行う高エネルギー物理研究の成果も、人類の生活に役だてられる時代が到来することが期待される。
[丹生 潔]
『牧二郎・長岡洋介・大槻義彦編、真木晶弘著『高エネルギー物理学実験』(1997・丸善)』▽『長島順清著『素粒子物理学の基礎1、2』(1998・朝倉書店)』▽『荒船次郎・江沢洋・中村孔一・米沢富美子編、長島順清著『高エネルギー物理学の発展』(1999・朝倉書店)』▽『原康夫・稲見武夫・青木健一郎著『素粒子物理学』(2000・朝倉書店)』▽『南部陽一郎著『素粒子物理学の100年』(2000・国際高等研究所)』▽『原康夫著『素粒子物理学』(2003・裳華房)』
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…素粒子の性質やその構造,素粒子間の相互作用などを研究する学問。高いエネルギー領域での研究であることから高エネルギー物理学ともいい,またとくに素粒子物理学の理論部分を素粒子論と呼ぶこともある。 素粒子物理学といってもその内容は時とともに変遷してきた。…
※「高エネルギー物理学」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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