(1)能のワキ方の流派名。流祖については諸説あって定めがたいが,家伝によると,高安長助(河内高安の人,もと横田姓)を流祖とし,2世を長助の子与八郎(安土桃山時代の人。金剛座ワキ方でのち金剛大夫を継いだ10世金剛又兵衛康季の養子となる),3世を与八郎の子太郎左衛門重政とする。太郎左衛門はワキ方春藤(しゆんどう)六右衛門友尊の女婿で寿閑と号し,寿閑を芸祖とする伝承もあり,事実上の流儀の確立者らしい。寿閑の弟三右衛門は大鼓(おおつづみ)方高安流を継いだので,大鼓方とは同祖の間柄である。4世が太郎左衛門重良(はじめ彦太郎,号不休。?-1661),5世太郎左衛門重賢は首長(くびなが)とあだ名され《豊高日記》に逸話が見える。江戸時代は主として金剛座の座付であった。そのため現在も謡は金剛流とほとんど変わらない。1870年(明治3)13世彦太郎(1847-70)が没し高安家は絶えたが,名古屋の門人の大友信安が上京して孤塁を守り,没後は同じく名古屋の西村弘敬ら門流が芸統を維持し,1929年弘敬の子滋郎(1917-78)が高安家を再興して14世を継ぎ,現在,滋郎の弟欽也(1923- )が宗家預りとなって名古屋を中心に活躍している。京都には岡次郎右衛門家が流統を支えている。1983年現在,能楽協会に登録の同流の役者は約20名。
(2)能の大鼓方の流派名。流祖は高安与右衛門道善(1499-1557)。観世弥三郎元供(大鼓の名人でもあった観世信光の子)の門人と伝えられる無双の名手で,大男のうえに美男子で〈高安エビス〉と呼ばれたという(《四座役者目録》)。江戸時代は主として金剛座の座付であった。10世三太郎忠栄(1679-1746)は徳川吉宗から紫調緒(むらさきしらべお)を許された名人。維新前後の家元は14世三太郎英勝(喜叟。1812-73)で,大鼓の石井流家元で名人の石井一斎や葛野(かどの)流の名手津村又喜らと腕を競った。喜叟の没後,長老の清水然知(江戸時代から続く大鼓の家。1827-85)や15世三右衛門英粲(1824-86)が相次いで没したが,然知の子清水正徳や英粲の弟泰三(亀叟,金春泰三。1840-1903)が幼少の鬼三(のちの16世道喜。1879-1946)を助けた。しかし道喜の子は家芸を継がず,1925年清水正徳は少年時代から俊秀の聞こえが高かった門人の安福(やすふく)春雄(1907-83)に芸事を譲り引退,のち安福春雄が宗家預りとなった。1983年現在,能楽協会に登録の同流の役者は約10名。重厚な技法を完成した人間国宝(重要無形文化財保持者各個指定)安福の薫陶を受けた有望な役者がそろっており,流勢は盛ん。気合,気迫を尊ぶ風がある。
執筆者:西野 春雄
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
※「高安流」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
各省の長である大臣,および内閣官房長官,特命大臣を助け,特定の政策や企画に参画し,政務を処理する国家公務員法上の特別職。政務官ともいう。2001年1月の中央省庁再編により政務次官が廃止されたのに伴い,...
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