高桐院(読み)コウドウイン

デジタル大辞泉 「高桐院」の意味・読み・例文・類語

こうどう‐いん〔カウドウヰン〕【高桐院】

京都市北区にある臨済宗の寺。大徳寺塔頭たっちゅうの一。慶長6年(1601)ごろ、細川忠興創建玉甫紹琮開祖。細川忠興、出雲阿国いずものおくにの墓がある。

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精選版 日本国語大辞典 「高桐院」の意味・読み・例文・類語

こうとう‐いんカウトウヰン【高桐院】

  1. 京都市北区紫野大徳寺町にある大徳寺の塔頭(たっちゅう)一つ。慶長年間(一五九六‐一六一五)細川忠興(三斎)が父幽斎菩提所として創建。開山は玉甫紹琮。国宝の李唐筆山水図など宋画の名品多数を所蔵する。

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日本歴史地名大系 「高桐院」の解説

高桐院
こうとういん

大徳寺の塔頭。慶長年間(一五九六―一六一五)、細川忠興(三斎)が父藤孝(幽斎)菩提を弔うために創建(都林泉名勝図会)。開山玉甫紹は藤孝の弟で忠興の叔父にあたる。堂の背後にある茶室松向しようこう軒は、天正一五年(一五八七)一〇月一日に豊臣秀吉北野きたので催した大茶会のとき影向の松の下に建てた茶室を移したものといわれ、三斎好みの二畳台目の席で、奥に三畳の水屋がある。なお三斎は正保二年(一六四五)一二月二日、八三歳で肥後八代やつしろ(現熊本県八代市)の城中に没したが、当院にある三斎の墓塔はもと利休の所持にかかる灯籠で、笠の一部を欠くのは、これを与えられた三斎が秀吉の召上げを避けるため故意に壊したためという。

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改訂新版 世界大百科事典 「高桐院」の意味・わかりやすい解説

高桐院 (こうとういん)

京都市北区にある臨済宗大徳寺派の塔頭(たつちゆう)で,慶長年間(1596-1615)細川忠興(号,三斎)が創建した細川家歴代の墓所。とりわけ忠興の墓碑は千利休が忠興に贈ったと伝える石灯籠で有名。建物では,鳳来,松向の2茶席の名が知られる。寺宝では,宋代の《山水図》(国宝)2幅,元初期ごろの伝銭選筆《牡丹図》2幅と大永6年(1526)古岳宗亘の賛のある《稲葉良籌像》が重要文化財となっている。今も三斎をしのんで訪れる茶人が多い。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「高桐院」の意味・わかりやすい解説

高桐院
こうとういん

京都市北区にある臨済宗大徳寺の塔頭。開山は,古渓の法を継ぎ大徳寺の 130世に数えられる玉甫紹そう (ぎょくほじょうそう) 。細川忠興が父幽斎の菩提を弔うために慶長7 (1602) 年または慶長年間に創建したもの。京都や大分所管の寺院9ヵ所が存在したと天明7 (1787) 年の『禅宗済家大徳禅寺派下寺院牒』は伝える。所蔵する寺宝のなかでは,絹本墨画『山水図』 (李唐筆) が国宝に,絹本著色『稲葉良籌像』が重要文化財に指定されている。境内には細川忠興歯塔,興津弥五右衛門などの墓がある。

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世界大百科事典(旧版)内の高桐院の言及

【大徳寺】より

…伽藍の南にある竜源院の本堂(重要文化財)は大仙院本堂に次ぐ古さで,黄梅院の庫裏(1589,重要文化財)は年代の判明する禅宗塔頭庫裏では最古の遺構であり,また同時期の方丈(1588,重要文化財)とそろって残る例として珍しい。伽藍の西に所在する高桐(こうとう)院には《山水図》(南宋時代,国宝),竜光院には燿変天目茶碗(南宋時代,国宝),小堀遠州の設計になる四畳半台目茶室密庵(みつたん)(密庵席)をもった書院(江戸初期,国宝),孤篷(こほう)庵には古来より大名物として知られる井戸茶碗(銘喜左衛門。李朝時代,国宝),茶室忘筌(ぼうせん)(忘筌席。…

※「高桐院」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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