高橋泥舟(読み)タカハシデイシュウ

デジタル大辞泉 「高橋泥舟」の意味・読み・例文・類語

たかはし‐でいしゅう〔‐デイシウ〕【高橋泥舟】

[1835~1903]江戸末期の幕臣。江戸の人。名は政晃。槍術家講武所師範役。鳥羽伏見の戦い後、徳川慶喜とくがわよしのぶ恭順説を説き、上野寛永寺慶喜護衛した。山岡鉄舟勝海舟とともに幕末三舟と称された。

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精選版 日本国語大辞典 「高橋泥舟」の意味・読み・例文・類語

たかはし‐でいしゅう【高橋泥舟】

  1. 江戸末期の幕臣。名は政晃、字(あざな)寛猛、幼名謙三郎、通称精一。泥舟は号。槍術の名人。講武所教授鳥羽伏見の戦以後は恭順謹慎を主張し、将軍慶喜の護衛にあたる。勝海舟・山岡鉄舟と並び幕末三舟と称せられた。天保六~明治三六年(一八三五‐一九〇三

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「高橋泥舟」の意味・わかりやすい解説

高橋泥舟
たかはしでいしゅう
(1835―1903)

幕末期の幕臣。天保(てんぽう)6年2月17日生まれ。名は政晃、泥舟は号。山岡氏より高橋家の養子となる。山岡鉄舟(てっしゅう)は義弟(妹英子の夫)。1855年(安政2)槍術(そうじゅつ)家の兄山岡静山没後、その門人を教授し、槍術の名人と称された。翌年22歳で講武所の教授となり、59年従(じゅ)五位下伊勢守(いせのかみ)に叙任。63年(文久3)新徴(しんちょう)組の統率浪士取扱を命ぜられたが、尊攘(そんじょう)派志士と接触があるとの理由で免職となる。長州征伐のときには征長不可の旨を上書、慶応(けいおう)幕政改革にあたり、66年(慶応2)11月遊撃隊頭取、翌年10月同隊頭取並となる。鳥羽(とば)・伏見(ふしみ)の戦い後は一貫して徳川慶喜(よしのぶ)の恭順謹慎を主張し、68年2月慶喜が江戸城を出、上野寛永寺(かんえいじ)に入ったあと身辺の護衛にあたった。勝海舟(かつかいしゅう)、山岡鉄舟とともに幕末三舟と称せられる。明治36年2月13日没。

[佐々木克]

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改訂新版 世界大百科事典 「高橋泥舟」の意味・わかりやすい解説

高橋泥舟 (たかはしでいしゅう)
生没年:1835-1903(天保6-明治36)

幕末・維新期の槍術家。名は政晃,字は寛猛,通称は精一。旗本山岡正業の次男。22歳で講武所の教授に出仕,25歳で師範となり,従五位下伊勢守に任官する。1863年(文久3)将軍徳川家茂の上洛に従い,新徴組の取扱をも命ぜられた。将軍慶喜が伏見で敗戦したのちは,官軍への恭順を説いた。泥舟は号で,勝海舟,山岡鉄舟とともに〈幕末の三舟〉とよばれた。
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百科事典マイペディア 「高橋泥舟」の意味・わかりやすい解説

高橋泥舟【たかはしでいしゅう】

幕末維新期の槍術(そうじゅつ)家,幕臣。名は政晃(まさあき)。もと山岡氏,のち高橋家を継ぐ。講武所師範役・浪士(新徴組)取扱を務め,1868年徳川慶喜が大政奉還した後は身辺の護衛の任に当たった。山岡鉄舟勝海舟と並んで幕末の三舟といわれた。

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朝日日本歴史人物事典 「高橋泥舟」の解説

高橋泥舟

没年:明治36.2.13(1903)
生年:天保6.2.17(1835.3.15)
幕末の幕臣。名は政晃,通称精一。泥舟は号。旗本山岡正業の次男で母方高橋家を継ぐ。槍術家山岡静山の実弟,山岡鉄舟は妹婿。槍術に長じ,安政6(1859)年講武所師範役となり,伊勢守に任ぜられた。文久2(1862)年,幕府徴募の浪士組を率い取扱として上京したが,浪士のうちに尊攘を唱える者が数を増し,新選組のみを残して江戸に戻った。明治1(1868)年遊撃隊頭として徳川慶喜の護衛に当たる。鳥羽・伏見の戦後は恭順を説き,新政府軍への使者に山岡鉄舟を推薦。維新後は仕官せず東京に隠棲。勝海舟,山岡鉄舟と共に幕末三舟と称される。<著作>『泥舟遺稿』(安部正人編)<参考文献>『高橋泥舟翁事歴』

(三井美恵子)

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「高橋泥舟」の意味・わかりやすい解説

高橋泥舟
たかはしでいしゅう

[生]天保6(1835).江戸
[没]1903.2.13.
江戸時代末期の幕臣で槍術家。山岡正業の次男。通称,精一。高橋家の養嗣子となった。文久2 (1862) 年講武所師範役,翌年新徴組を統率,のち遊撃,精鋭両隊を統率し,恭順派に加わって徳川慶喜を護衛した。山岡鉄舟の義兄にあたり,勝海舟とともに幕末三舟の一人。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「高橋泥舟」の解説

高橋泥舟 たかはし-でいしゅう

1835-1903 幕末-明治時代の武士,槍術(そうじゅつ)家。
天保(てんぽう)6年2月17日生まれ。兄の山岡静山について修業し,幕府講武所槍術師範となる。慶応2年遊撃隊頭取。鳥羽・伏見の戦い後,謹慎中の徳川慶喜(よしのぶ)を警護した。維新後は東京に隠棲(いんせい)。勝海舟,義弟の山岡鉄舟とともに幕末三舟と称された。明治36年2月13日死去。69歳。江戸出身。本姓は山岡。名は政晃。字(あざな)は寛猛。通称は謙三郎,精一。

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