魚津(市)(読み)うおづ

日本大百科全書(ニッポニカ) 「魚津(市)」の意味・わかりやすい解説

魚津(市)
うおづ

富山県の北東部にあり、富山湾に臨む水産・工業都市。1952年(昭和27)下新川(しもにいかわ)郡の魚津町と、下中島(しもなかじま)、上中島、松倉、上野方(かみのがた)、下野方、片貝谷(かたかいだに)、加積(かづみ)、道下(みちした)、経田(きょうでん)、天神、西布施(にしふせ)の11か村が合併して市制施行。あいの風とやま鉄道(旧、JR北陸本線)と富山地方鉄道本線が通じ、北陸自動車道、国道8号が走る。魚津は古来小津(おづ)といわれた漁村中世、椎名(しいな)氏の居城松倉城魚津市街の南方6キロメートル)の一支城として魚津城が築造された。のち上杉謙信(けんしん)に攻められ落城後は、交通不便な松倉城は廃れ、その中心は魚津城に移った。1582~1583年(天正10~11)佐々成政(さっさなりまさ)に攻略され、佐々氏のものとなったが、九州に転封後は、前田利家(としいえ)の領有となった。しかし、元和(げんな)(1615~1624)のころに廃城。その後、魚津に町奉行(ぶぎょう)、郡代を置き、旧城の周囲に武家屋敷、それを取り巻いて町人町があり、漁師町とともに発展した。その間何回もの大火荒波による災害を受けた。廃藩置県(1871)後、しばらく新川(にいかわ)県庁が置かれ、1879年(明治12)下新川郡役所が置かれた。1956年(昭和31)9月10日の大火で中心街が焼失したが、その後復興して面目を一新した。なお、1918年(大正7)の米騒動発端の地でもある。

 農業は就業人口が年々減少しているが、水田が主体で、機械化、構造改善がほぼ完成し、山間地は過疎化した。また、県内を代表するリンゴの産地として知られる。水産業は定置網漁業が主体で、魚津港角川(かどかわ)の補助港、経田漁港があり、ホタルイカ、シロエビ、細工かまぼこは名産品として知られる。商業は都市計画の完成で、あいの風とやま鉄道魚津駅前を中心に大型店舗が進出したが、商店街の衰退・空洞化が問題となっている。主要工場はタワーパートナーズセミコンダクター、日本カーバイド工業、スギノマシンなどがある。魚津海岸は4月下旬~6月上旬ごろ蜃気楼(しんきろう)がみられ、魚津水族博物館は日本海岸屈指の設備を誇る。魚津漁港付近の埋没林(魚津埋没林)は、1930年(昭和5)に漁港修築工事で地表下約1メートルで樹齢1000年もの樹根二百数十株が発見され、大部分はスギで、そのおもなものは魚津埋没林博物館に保存されており、ホタルイカ群遊海面とともに特別天然記念物。魚津のタテモン行事は国の重要無形民俗文化財に指定され、「山・鉾(ほこ)・屋台行事」の一つとしてユネスコの無形文化遺産に登録されている。また、片貝川右岸に湯量豊富な金太郎温泉がある。面積200.61平方キロメートル、人口4万0535(2020)。

[深井三郎]

『『魚津市史』全3巻(1968~1982・魚津市)』


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