日本歴史地名大系 「鶴ヶ城跡」の解説
鶴ヶ城跡
つるがじようあと
若松城下の南寄り、
黒川城と城下を本格的に構築したのは蒲生氏郷で、文禄元年(一五九二)のことである。当時の黒川城下は城も館程度のもので、士屋敷と寺社と町方が雑然と入交じって、「黒かはを袴にたちて着てみれば、まちのつまるはひだの狭さに」という狂歌が詠まれるほどであった(会津四家合考)。
鶴ヶ城跡
つるがじようあと
鶴ヶ城跡
つるがじようあと
鶴ヶ城跡
つるがじようあと
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報