鶴沢道八(読み)つるざわどうはち[いっせい]

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「鶴沢道八」の意味・わかりやすい解説

鶴沢道八(1世)
つるざわどうはち[いっせい]

[生]明治2 (1869). 大阪
[没]1944
義太夫節三味線方。本名浅野楠之助。大阪島之内の出身。1877年 2世鶴沢吉左衛門に入門。その後 2世鶴沢勝七の預かり弟子となり,鶴沢友松の名で 1882年大阪西区松島の文楽座に初出座。名人 2世豊沢団平に私淑し,1884年彦六座に入座してからその薫陶を受け,彦六座,稲荷座,堀江明楽座と文楽座に対抗する勢力で修業し,1902年に一時引退する。1924年9月,文楽座の紋下櫓下) 3世竹本津太夫相三味線として招かれるが座員の反対にあい,協議の末に同 1924年11月公演から 1世鶴沢道八の名で出座する。1927年以降は津太夫の相三味線を 6世鶴沢友次郎に譲り,自身は 4世竹本大隅太夫の相三味線を務めた。放胆で豊かな音色を響かす名人だが,太夫を語らせる姿勢に欠けるともいわれた。晩年は 2世市川猿之助(1世市川猿翁)と提携して『二人三番叟』などで好評を博し,『釣女』の改訂編曲,『小鍛冶』などの作曲も残した。故実に詳しく『文楽の鑑賞』(1944,山口広一著)などの芸談を残し,なかでも『道八芸談』(1944,鶴沢道八著,鴻池幸武編)は,明治期の人形浄瑠璃実態と 2世豊沢団平の風貌を伝える名著とされる。(→浄瑠璃文楽

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新撰 芸能人物事典 明治~平成 「鶴沢道八」の解説

鶴沢 道八(2代目)
ツルザワ ドウハチ


職業
義太夫節三味線方(文楽)

専門
人形浄瑠璃,三味線

本名
坪井 沢一(ツボイ タクイチ)

別名
初名=清友,前名=鶴沢 徳太郎(6代目)

生年月日
大正4年 8月21日

出身地
岡山県

経歴
文楽界の長老格。昭和3年4代目鶴沢清六に入門、8年初舞台。31年6代目鶴沢徳太郎襲名。45年2代目鶴沢道八襲名。「廓文章」などの世話ものや道行きに定評があった。56年8月、名古屋・中日劇場での「東海道中膝栗毛」が最後の舞台だった。

没年月日
昭和56年 11月12日 (1981年)

伝記
道八芸談 鶴沢 道八 著,鴻池 幸武 編(発行元 ぺりかん社 ’87発行)


鶴沢 道八(初代)
ツルザワ ドウハチ


職業
義太夫節三味線方(文楽)

専門
人形浄瑠璃,三味線

本名
浅野 楠之助

別名
初名=鶴沢 吉松,前名=鶴沢 友松

生年月日
明治2年 6月27日

出生地
大阪府 島之内

経歴
9歳の時2代目鶴沢吉右衛門に入門、次いで鶴沢勝七に師事、友松と名乗った。明治15年松島文楽座に入り、17年彦六座に転じた。このころから名人2代目豊沢団平の芸に傾倒、その教えを受けた。その後七五三太夫、伊達太夫(後の7代目土佐太夫)らの三味線を弾き、39年退座、大正13年御霊文楽座の3代目竹本津太夫の相三味線に迎えられ、道八と改名した。昭和初期の名人の一人といわれる。

没年月日
昭和19年 11月28日 (1944年)

出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報

改訂新版 世界大百科事典 「鶴沢道八」の意味・わかりやすい解説

鶴沢道八 (つるざわどうはち)

義太夫節の三味線演奏者。(1)初世(1869-1944・明治2-昭和19) 本名浅野楠之助。大阪出身。8歳で2世鶴沢吉左衛門に入門,吉松を名のったが2世勝七の門に移って友松となり文楽座に出勤,のち彦六座に移り2世豊沢団平の教えを受けた。1906年一時退座して道八と改名,23年に文楽座に復帰,3世竹本津太夫,4世竹本大隅太夫らを弾いた。独特の間と美音で名手の評高く,作曲にも秀で《小鍛冶》などをものした。著書に《道八芸談》(1944)がある。(2)2世(1915-81・大正4-昭和56) 本名坪井沢一。岡山県出身。13歳で4世鶴沢清六に入門,清友から6世徳太郎を経て2世を襲名。晩年4世竹本津太夫を弾いた。
執筆者:

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20世紀日本人名事典 「鶴沢道八」の解説

鶴沢 道八(1代目)
ツルザワ ドウハチ

明治〜昭和期の義太夫節三味線方(文楽)



生年
明治2年6月27日(1869年)

没年
昭和19(1944)年11月28日

出生地
大阪・島之内

本名
浅野 楠之助

別名
初名=鶴沢 吉松,前名=鶴沢 友松

経歴
9歳の時2代目鶴沢吉右衛門に入門、次いで鶴沢勝七に師事、友松と名乗った。明治15年松島文楽座に入り、17年彦六座に転じた。このころから名人2代目豊沢団平の芸に傾倒、その教えを受けた。その後七五三太夫、伊達太夫(後の7代目土佐太夫)らの三味線を弾き、39年退座、大正13年御霊文楽座の3代目竹本津太夫の相三味線に迎えられ、道八と改名した。昭和初期の名人の一人といわれる。


鶴沢 道八(2代目)
ツルザワ ドウハチ

昭和期の義太夫節三味線方(文楽)



生年
大正4(1915)年8月21日

没年
昭和56(1981)年11月12日

出身地
岡山県

本名
坪井 沢一(ツボイ タクイチ)

別名
初名=清友,前名=鶴沢 徳太郎(6代目)

学歴〔年〕
小卒

経歴
文楽界の長老格。昭和3年4代目鶴沢清六に入門、8年初舞台。31年6代目鶴沢徳太郎襲名。45年2代目鶴沢道八襲名。「廓文章」などの世話ものや道行きに定評があった。56年8月、名古屋・中日劇場での「東海道中膝栗毛」が最後の舞台だった。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「鶴沢道八」の解説

鶴沢道八(初代) つるざわ-どうはち

1869-1944 明治-昭和時代前期の浄瑠璃(じょうるり)三味線方。
明治2年6月17日生まれ。義太夫節。2代鶴沢勝七の門人。明治17年2代豊沢団平の彦六座にうつる。引退して40年鶴沢道八を名のる。大正13年から再出座して3代竹本津太夫の三味線方をつとめた。昭和19年11月28日死去。76歳。大阪出身。本名は浅野楠之助。前名は鶴沢友松。著作に「道八芸談」。

鶴沢道八(2代) つるざわ-どうはち

1915-1981 昭和時代の浄瑠璃(じょうるり)三味線方。
大正4年8月21日生まれ。4代鶴沢清六の門人,のち初代鶴沢道八門下。昭和45年2代道八を襲名した。晩年は4代竹本津太夫の三味線方をつとめた。昭和56年11月12日死去。66歳。岡山県出身。本名は坪井沢一。初名は鶴沢清友(せいとも)。前名は鶴沢徳太郎(6代)。

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367日誕生日大事典 「鶴沢道八」の解説

鶴沢 道八(初代) (つるざわ どうはち)

生年月日:1869年6月17日
明治時代-昭和時代の義太夫節三味線方
1944年没

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