日本大百科全書(ニッポニカ) 「黄島貝塚」の意味・わかりやすい解説
黄島貝塚
きしまかいづか
岡山県南東部、瀬戸内市牛窓町の小島、黄島にある縄文時代早期の貝塚遺跡。1943年(昭和18)に発見され、出土した楕円押型文(だえんおしがたもん)を主体とする尖底(せんてい)土器に特徴を認め、黄島式が設定された。伴出品は打製石鏃(せきぞく)と掻器(そうき)が多いが、獣骨は微量である。貝塚は標高15メートル付近にあり、下層はヤマトシジミ、上層はハイガイ、カキからなる。黄島付近にはヤマトシジミが生息するような河川がないので、周囲の環境が淡水の流れる草原ないし湿地から海へと変化する過程で貝塚が形成されたこと、つまり瀬戸内海の形成過程を示す好資料である。炭素14年代は8400±350年前、実年代であらわすと約9500年前、当時の海水準は現在より約13メートル低かったと考えられている。
[春成秀爾]