ATPアーゼ(読み)えーてぃーぴーあーぜ(英語表記)ATPase

翻訳|ATPase

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ATPアーゼ」の意味・わかりやすい解説

ATPアーゼ
えーてぃーぴーあーぜ
ATPase

ATP(アデノシン三リン酸)を加水分解してADP(アデノシン二リン酸)と無機リン酸を生じる反応を触媒する酵素総称。ATPに含まれる三つのリン酸どうしの結合はリン酸無水物結合であり、加水分解により1モル当り7~10キロカロリーの自由エネルギーが放出される。単なる加水分解では、このエネルギーは熱になって散逸するだけであるが、ATPアーゼは、このエネルギーを他の仕事に変えている。

 ATPアーゼは、いくつかの大きなグループに分けられる。P-タイプのATPアーゼは、生体膜に存在していて、ATPの加水分解のエネルギーでイオンの能動的な輸送を行っている。たとえば、Ca2+-ATPアーゼは、筋肉の小胞体膜にあり、Ca2+放出によって収縮した筋線維からCa2+を小胞体の中に回収し、筋肉を弛緩(しかん)させる。Na+, K+-ATPアーゼは動物の細胞膜に広く存在し、Na+を細胞の外に排出し、K+を細胞の中に取り込んでいる。胃壁にあるH+, K+-ATPアーゼは、H+を分泌し、胃の中を酸性に保つ。ABC輸送体という名称でよばれるATPアーゼのグループもやはり膜に存在し、たとえば細胞の中の異物の排出を行っている。抗癌(こうがん)剤も癌細胞のこの種のATPアーゼによって排出されてしまい、薬剤耐性の癌の悪性化の一つの原因となっている。

 生体の中のタンパク質や核酸の構造を変える役割をもつATPアーゼもある。AAA-ATPアーゼと総称されるものは、ATPの加水分解のエネルギーでタンパク質の立体的な構造を崩して1本の紐(ひも)のようにしてしまう。そうしてひも状タンパク質は、膜にある輸送体の中の細い穴に押し込まれて膜を横切って輸送されたり、あるいは、狭い入り口をもつタンパク質分解酵素(プロテアーゼ)の中に送り込まれて分解される。また、タンパク質の折れたたみを助ける分子シャペロンと総称されるタンパク質の多くはATPアーゼである。たとえば、シャペロニンという分子はかご状の構造であり、ATPの加水分解のエネルギーで、変性して立体構造の壊れたタンパク質をかごの中に閉じ込めて、そこで立体構造を形成させる。かごの中は、他の変性タンパク質と接触することがないので変性タンパク質どうしが凝集する危険性がない。したがって、閉じ込められたタンパク質は安全に立体構造を形成することができる。また、凝集してしまったタンパク質をふたたび水に溶ける形に戻し、活性も回復させる分子シャペロンが発見されているが、これもATPアーゼである。また、デオキシリボ核酸DNA)の構造を変えるATPアーゼもある。たとえば、RecAというATPアーゼは、遺伝子の組み換えに必要な構造をDNAにとらせることで知られている。

 運動を引き起こすATPアーゼもある。もっともよく知られているのは、筋肉のミオシンである。ミオシンはATPの加水分解のエネルギーでアクチン線維の上をすべることによって筋肉の収縮をもたらす。細胞の中で微小管にそって小胞などの輸送を行うキネシン、あるいは鞭毛(べんもう)の運動を引き起こすダイニンもATPアーゼである。すべての酵素は正反応を触媒すれば、かならず逆反応も触媒する。したがって、ATPアーゼは同時にATP合成も触媒できるはずである。しかし、生体内で実際にATPを合成しているのは、F0F1-ATPアーゼとよばれる酵素だけである。この酵素は、ATP合成酵素(リガーゼ)ともよばれ、細胞の中のミトコンドリアの内膜に存在し、活動するミトコンドリアの内外にできているH+のポテンシャル勾配にしたがって流れ込むH+のエネルギーでATPを合成している(酸化的リン酸化)。このATP合成酵素は、細菌を含めてあらゆる細胞に存在し、また光リン酸化でATPを合成しているのもこの酵素である。ATP合成酵素は、分子の中央部分が回転するモーター酵素であり、人工あるいは天然を問わず地上最小のモーターとして知られている。

[吉田賢右]

『中尾真編『バイオエナジェティクス――ATPの生物学』(1986・学会出版センター)』『日本物理学会編『生物物理のフロンティア――蛋白質 筋収縮 脳・神経』(1989・培風館)』『三浦謹一郎編『プロテインエンジニアリング』(1990・東京化学同人)』『三浦謹一郎ほか編『蛋白質の機能構造』(1990・丸善)』『日本生物物理学会編『生命科学の基礎6 生体膜の分子素子・分子機械』(1990・学会出版センター)』『二井将光編『生体膜工学』(1991・丸善)』『平田肇・茂木立志編『ポンプとランスポーター』(2000・共立出版)』『吉田賢右・茂木立志編『生体膜のエネルギー装置』(2000・共立出版)』

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

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