日本大百科全書(ニッポニカ) 「理科教育」の意味・わかりやすい解説
理科教育
りかきょういく
学校教育の一分野で、自然科学を通して文化遺産を伝えるとともに、創造的能力を育てること。
[木村仁泰・秋山幹雄]
歴史
「理科」という用語は、わが国において使い始められた比較的新しいものと考えられる。日本で最初の物理学書といわれている『気海観瀾(きかいかんらん)』(1825訳述、27刊)の序文に「理科格物之論」ということばがあり、また宇田川榕菴(ようあん)訳著の『舎密開宗(せいみかいそう)』(1837~47刊)にも「理科」ということばがみられる。このなかで、舎密(化学の意)を六門に分け、その第一門、いわゆる化学の基礎原理にあたる部分に「理科舎密」ということばをあてている。「理」は「支那(しな)哲学ニテ、現象ノ器ニ対シテ、宇宙ノ本体」(『大言海』)という意味で、「科」は、五穀を斗(ます)を用いて量り分かつことを本義とし、ひいては「一定の標準を立てて区分けした一つ一つ」を意味する語である。つまり、「理科」とは、物事の究極の原理を追究する部門といった意味で用いられ始めたと解釈できる。
教科の名称としての「理科」は、1886年(明治19)4月小学校令公布に続き、同年5月制定の「小学校ノ学科及其程度」において用いられた。しかしこのとき、その意味は示されなかったが、1891年11月の省令「小学校教則大綱」第8条で次のように明文化された。「理科ハ通常ノ天然物及現象ノ観察ヲ精密ニシ其(その)相互及人生ニ対スル関係ノ大要ヲ理会セシメ兼ネテ天然物ヲ愛スルノ心ヲ養フヲ以テ要旨トス」。これは、理科の教育が自然科学諸科学諸学科の基礎を児童・生徒に与えることをもって足りるとするだけでなく、人間の生活と自然の関係、自然の愛護を重要な課題とすることを表明するものであった。この性格はその後長くわが国の理科教育を規定するものとなった。
[木村仁泰・秋山幹雄]
変遷
理科教育は、科学技術の発展およびその時代の科学観・教育観と密接不離な関係にあり、そのあり方は国の施策による影響が大きい。1917~18年にかけて、第一次世界大戦後の世界的な科学技術力推進の気運のなかにあって、中学校・師範学校の生徒実験の奨励と実験設備の充実のため国庫補助が行われた。また、第二次世界大戦後も、1953年(昭和28)「理科教育振興法」が制定され、これに基づき学校の理科教育施設や設備の充実のために国から支出された補助金が、戦後の理科教育の発展に大きく貢献した。
わが国の理科教育は、その制度とともに、諸外国の教育思潮の影響を強く受けてきた。ペスタロッチ主義に源流を求める観察力などの人間の精神的諸能力の開発を強調した開発主義教育法や、ヘルバルト主義教育学にみる五段階教授法が理科教育にも細密に適用され、とくに後者は形をかえ、理科指導法の基本的骨組みとなっていった。アメリカの進歩主義教育思想の影響を受け、大正から昭和の初めにかけてわが国に展開された「新教育運動」は、理科においても発見的方法、自発的・創造的学習方法などの数多くの革新的試みを生み、総合カリキュラムへの指向の動きを示したが、一般に広く普及するまでには至らなかった。
第二次世界大戦後は、アメリカの強い影響の下に、生活単元学習、問題解決学習などの指導法が導入されたが、やがて教材の系統化を主張した系統学習に席を譲った。その後、1960年代のアメリカに始まった世界的な科学教育現代化運動は、わが国の理科の教育内容や指導方法に大きな影響を与えた。70年代以後には科学と技術の社会における責任が強く認識されるようになった。アメリカでは、80年代から一般大衆の科学的素養の向上をねらいとした、いわゆるSTS(Science,Technology and Society)教育運動が盛んになり、科学―技術―社会の相互のかかわりと営みを視野に入れた科学観に基づく教育が目ざされた。STS教育は、日本でも重視されている。90年代以降、科学、医学等の著しい技術的進歩と加速する情報化社会のなか、世界的規模で科学・理科教育のあり方が問い直されている。新しい理科教育のおもな課題として、生命倫理、環境倫理とのかかわりのなかでの取組みがあげられる。遺伝子の分析・診断・治療・操作、人工・体外授精、臓器移植などがかかえる生命倫理の問題、自然と共生していくうえでの環境倫理の問題は、今日の科学観の形成に深くかかわってきている。生命倫理を含む環境教育と理科教育、情報化社会における情報教育と理科教育との関係は、きわめて重要な教育課題として改革を促している。日本では、実質的な高校の義務教育化が進むにあたり、一般教育としての理科教育のあり方が大きな問題となっている。日本の理科教育においては、従来の科学的概念の理解に加えて、問題解決過程における判断および意思決定能力の評価に重点が置かれ、意欲、思考力、判断力、表現力を学力の基本とする新しい学力観がみられる。さらに、科学的素養に基づいて、広く諸問題への対応ができることを目ざしている。
[木村仁泰・秋山幹雄]
『日本理科教育学会編『現代理科教育大系』全6巻(1978・東洋館出版社)』▽『日本理科教育学会編『これからの理科教育』(1998・東洋館出版社)』▽『木村仁泰編著『理科教育学原理』(1973・明治図書出版)』▽『学校理科研究会編『現代理科教育学講座』全6巻(1986・明治図書出版)』▽『高橋景一・山極隆・江田稔編『改訂高等学校学習指導要領の展開(理科編)』(1990・明治図書出版)』