アレクサンドル(英語表記)Aleksandr

デジタル大辞泉 「アレクサンドル」の意味・読み・例文・類語

アレクサンドル(Aleksandr)

(1世)[1777~1825]ロシア皇帝。在位1801~1825。ナポレオンモスクワ遠征を失敗させ、ウィーン会議では神聖同盟を提唱。
(2世)[1818~1881]ロシア皇帝。在位1855~1881。ニコライ1世の長男。農奴解放令発布など自由主義的改革を行ったが、のち反動化した。アラスカを米国に売却、日本とは千島列島樺太からふとサハリン)と交換。ナロードニキのメンバーに暗殺された。
(3世)[1845~1894]ロシア皇帝。在位1881~1894。の次男。皇帝専制を行った。フランスと同盟を結び、バルカンに進出。フランス資本を導入して、シベリア鉄道の建設に着工し、ロシア資本主義の発展を図った。

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精選版 日本国語大辞典 「アレクサンドル」の意味・読み・例文・類語

アレクサンドル

  1. ( Aljeksandr )
  2. [ 一 ] ( 一世 ) ロシア皇帝(在位一八〇一‐二五)。二度の対仏戦争に敗れたが、ナポレオンのモスクワ遠征を失敗させる。戦後神聖同盟の盟主。(一七七七‐一八二五
  3. [ 二 ] ( 二世 ) ロシア皇帝(在位一八五五‐八一)。ニコライ一世の長子。農奴解放令を発布し、ツァー体制の近代化を推進。アラスカをアメリカに売却し、千島列島と樺太(からふと)を日本と交換した。のち、弾圧政治を行ない、暗殺された。(一八一八‐八一
  4. [ 三 ] ( 三世 ) ロシア皇帝(在位一八八一‐九四)。貴族の特権の復活、検閲強化、教育統制、ユダヤ人圧迫など一連の反動政策を推進。(一八四五‐九四

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「アレクサンドル」の意味・わかりやすい解説

アレクサンドル(1世)
あれくさんどる
Александр Ⅰ/Aleksandr Ⅰ
(1777―1825)

ロシアの皇帝(在位1801~1825)。パーベル1世の長男として12月12日生まれ、祖母のエカチェリーナ2世とスイス人教育係ラ・アルプから啓蒙(けいもう)主義思想を教えられた。宮廷革命で父親が暗殺されると、衆望を担って即位し、治世の前半は自由主義的改革を行った。外交政策では、最初イギリスおよびフランスと条約を結んで友好関係を維持しようと努めたが、ナポレオンが登場するや、イギリスの提唱する対仏大同盟に加入した。しかしアウステルリッツとフリードラント(現、プラブディンスク)でナポレオン軍に大敗を喫し、ティルジットの講和を結んだ(1807)。このあとトルコおよびスウェーデンと戦って勝利を収め、ジョージアグルジア)(1801)、フィンランド(1809)、ベッサラビア(1812)およびアゼルバイジャン(1813)を併合した。ナポレオン戦争に勝利したあと、彼はヨーロッパの秩序を回復するため、ウィーン会議と神聖同盟の成立に積極的な役割を果たした。しかし治世の後半は、悪名高いアラクチェーエフらを登用して反動的な政策を推し進め、晩年は神秘主義へ傾いていった。1825年11月19日、南ロシアのタガンログの旅先で急死した。

[外川継男]


アレクサンドル(3世)
あれくさんどる
Александр Ⅲ/Aleksandr Ⅲ
(1845―1894)

ロシアの皇帝(在位1881~1894)。アレクサンドル2世の次男として2月26日生まれ、兄ニコライの死によって皇太子となり、父帝の暗殺で即位した。皇太子時代に保守的思想家ポベドノースツェフの影響を強く受け、ロシアにとっては強力な専制がもっともふさわしい政治形態だと確信するようになった。即位直後、「臨時措置令」を公布して、革命運動を厳しく取り締まった。1880年代の前半には人頭税を廃止するなど、経済の分野でいくつかの改革を行ったが、後半になると、前皇帝の時代に施行された改革を廃止または改悪し、「反改革」を推し進めた。その典型的な例が1889年に設立された地方主事の制度である。外交面では、ドイツとの関係がしだいに悪化し、フランスに近づいてロシア・フランス同盟を成立させた。経済政策の分野では、ウィッテを蔵相に登用して、政府による「上からの工業化」の端緒をつくった。1894年10月20日没。

[外川継男]



アレクサンドル(2世)
あれくさんどる
Александр Ⅱ/Aleksandr Ⅱ
(1818―1881)

ロシアの皇帝(在位1855~1881)。ニコライ1世の長男として4月17日生まれ、クリミア戦争の最中に死んだ父帝の後を襲って即位した。元来は保守的な見解の持ち主であったが、戦争で敗れたロシアを1日でも早くヨーロッパの列強の水準に近づけるために、有能な官吏の意見をいれて、次々と改革を断行した。まず1861年には農奴解放令を発して、全国で2300万人の農奴農民を解放した。ついでゼムストボとよばれる地方自治会を設立し、地方行政を改革(1864)、また同じ年に司法制度も改革した。さらに1874年には軍制の改革も行った。これによって後年、彼は「解放皇帝」とよばれ、その治世は「大改革の時代」とよばれた。しかしポーランドの反乱(1863~1864)を鎮圧してからは、しだいに反動的な政策をとるようになり、それにつれて革命運動も盛んになっていった。ついに1881年3月1日、ナロードニキの「人民の意志」派のメンバーによって暗殺された。

[外川継男]


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百科事典マイペディア 「アレクサンドル」の意味・わかりやすい解説

アレクサンドル[2世]【アレクサンドル】

ロシア皇帝(在位1855年―1881年)。ニコライ1世の子。クリミア戦争中に即位し,戦後農奴解放令発布,ゼムストボ設置などの改革(〈大改革〉と呼ばれる)を推進。ポーランド反乱を鎮圧,中央アジアを侵略,露土戦争を起こした。革命勢力を弾圧し,ナロードニキに暗殺された。
→関連項目アレクサンドル[3世]暗殺フィグネルマリア・ルース号事件

アレクサンドル[3世]【アレクサンドル】

ロシア皇帝(在位1881年―1894年)。アレクサンドル2世の子。専制権力の強化と経済的譲歩策との組合せで父帝暗殺後の危機をのりきり,露仏同盟など親仏・反英政策をとり,ウィッテを蔵相に登用し国内工業の振興を進めた。
→関連項目チホミーロフニコライ[2世]ピウスーツキ

アレクサンドル[1世]【アレクサンドル】

ロシア皇帝(在位1801年―1825年)。パーベル1世の子。初め自由主義的革命を行い,領土を拡大した。しかしナポレオンのロシア侵入(モスクワ遠征)を撃破し,ウィーン会議をリードし,神聖同盟の提唱者となって以後は反動化した。
→関連項目デカブリスト

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旺文社世界史事典 三訂版 「アレクサンドル」の解説

アレクサンドル(2世)
Aleksandr Ⅱ

1818〜81
ロシアの皇帝(在位1855〜81)
クリミア戦争中に即位し,戦争の敗北でロシアの上からの近代化の必要性を痛感。農奴解放(1861),司法制度の改革,地方自治制度の創設,義務兵役制度の実施などの自由主義的改革を行った。しかし,1863年のポーランドの反乱やその後のナロードニキの進出などから反動化し,最後は「人民の意思」党員の爆弾で暗殺された。対外的には三帝同盟締結,沿海州の獲得,アラスカ売却,露土(ロシア−トルコ)戦争などを行った。

アレクサンドル(1世)
AleksandrⅠ

1777〜1825
ロシアの皇帝(在位1801〜25)
祖母エカチェリーナ2世の下で育ち,自由主義に理解をもったが,地主貴族勢力の強い抵抗で成果がなく,のち反動的になった。ナポレオン1世と2度戦って敗れ,ティルジット条約を結び,1812年祖国戦争に勝利を収めてウィーン会議に出席。神聖同盟の結成を提唱し,またポーランドに立憲王国をつくり,その国王を兼ねた。晩年,神秘主義に陥り,熱病で死没。

アレクサンドル(3世)
Aleksandr Ⅲ

1845〜94
ロシアの皇帝(在位1881〜94)
父2世暗殺のあとをうけて即位。学問を好まぬ軍人で,徹底した反動政治を行い,ポーランド・フィンランドなどのロシア化を強行,中央アジアに進出してイギリスと対立した。1891年露仏同盟を結び,フランス資本を導入してシベリア鉄道を起工した。

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世界大百科事典(旧版)内のアレクサンドルの言及

【トベーリ公国】より

…モスクワのユーリーと争い,貢税着服とハーンの妹でモスクワ公ユーリーの后コンチャクを毒殺した罪でハーンに処刑された。その子アレクサンドル(1301‐39)の時代の1327年トベーリで民衆蜂起がおこり,ハーン国から派遣されていた有力者や役人を殺害したが,タタール軍とモスクワ公イワン・カリタのために弾圧された。その後約半世紀は,タタールに対する闘いはおさまった。…

※「アレクサンドル」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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