デジタル大辞泉
「ペラ」の意味・読み・例文・類語
出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例
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ぺら
- 〘 名詞 〙
- ① ( 「半ぺら」の略 ) 二〇〇字詰の原稿用紙を呼ぶ俗称。
- [初出の実例]「博浪沙の原稿『弁当彌栄』を書く。ペラ十二枚也」(出典:夢声戦争日記〈徳川夢声〉昭和一七年(1942)一月一六日)
- ② 折りたたまれていない紙、または印刷物。
- ③ 紙幣。さつ。さつびら。
- [初出の実例]「ペラだにあれば四海みな、同朋町の芸者巷(まち)」(出典:当世書生気質(1885‐86)〈坪内逍遙〉一八)
出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例
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ペラ
Pella
北部ギリシアの中心テッサロニキ市の西方約38kmに位置する町。マケドニア王国の首都の遺跡がある。この王国のアルケラオス王(在位,前413-前399)が,それまでの首都アイガイから遷都したといわれ,ギリシア文化受容の中心となった。アレクサンドロス大王の生地でもある。第2次世界大戦後の遺跡発掘により,公共建築物,下水道をともなう道路などが明らかとなり,現在も発掘続行中である。特に建造物床面の小石モザイクの精巧さが有名である。
執筆者:井上 一
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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ペラ
Pella
古代マケドニアの首都。サロニカ (セサロニキ ) の北西約 39kmに位置していた。前5世紀末にアルケラオスがここに首都をおいてから栄えはじめ,フィリッポス2世のもとに急速な発展をとげた。アレクサンドロス3世 (大王) もここで生れている。前 168年ローマの軍門にくだって以来,地方の一小都市に没落。 20世紀の考古学的発掘により,柱廊を配した建物が発見され,その床に敷きつめられたモザイク模様は,さまざまな色の自然の小石を用いて,ライオン狩りや「ひょう」に乗るディオニュソスなどを描き出しており,前4世紀後半のものとされる。また全体が広い街路によって整然と区画され,水道施設も整っていたことが知られる。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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ペラ
ぺら
Pella
マケドニア王国の首都。エーゲ海北西端のテッサロニキ北西約40キロメートル、ローディアス川の河畔にある。紀元前5世紀アルケラオスがここに都を置いて以後、前168年ローマ帝国に征服されるまで栄えた。マケドニアは前4世紀フィリッポス2世のもとで軍事的統一国家を形成する。このあと、この地で生まれたアレクサンドロス3世(大王)の治世に至るに及んで、ここは当時、世界でもっとも活力に満ちた都市となった。
[鈴木忠司]
出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例
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世界大百科事典(旧版)内のペラの言及
【原稿用紙】より
…随筆家,成島柳北の漢詩の草稿は15字12行で,和紙に木版刷りであった。《高橋是清自伝》によると,1872年(明治5)には,大蔵省で〈ペラ〉(20字10行の原稿用紙)が使われており,20字20行のものもあったらしい。樋口一葉は,明治20年代に,縦罫紙に横線を引いた手製のものと,さまざまな字詰めの市販品を使っていた。…
【モザイク】より
…モザイクの技法による具象的な絵画が描かれるようになるのは,ヘレニズム時代と考えられる。マケドニア北方のペラ出土の舗床モザイク(前4世紀末)では,白・黒・茶色など数色の小石により,狩猟場面や神話主題などが表されている。イタリアのポンペイからは多くのモザイク画が発見されているが,なかでも有名な《イッソスの戦》のモザイク壁画(前2世紀後半)は,ヘレニズム時代のフレスコのコピーといわれ,細緻でイリュージョニスティックな表現が見られる。…
※「ペラ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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