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「レオン」の意味・読み・例文・類語
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レオン León
目次 美術 スペイン北部,カスティリャ・レオン地方の同名県の県都。周辺の農産物の集散地で,近年,工業化が進行している。人口13万5794(2002)。古くから金や銅などの鉱産物で知られ,都市名はローマ時代の駐屯軍の名に由来する。6世紀末には西ゴート王国の支配下に入り,714年にイスラム教徒 に征服されたが,9世紀半ばからキリスト教徒 による再征服が進み,882年アルフォンソ3世 によって最終的に回復された。910年,アストゥリアス王国 の首都はオビエドからレオンに移り,レオン王国の版図は現在のレオン,サモラ,サラマンカ の3県およびバレンシア ,バリャドリー島両県の大部分に及んだ。988年マンスール の略奪をうけたものの,1020年にはアルフォンソ5世(在位999-1028)によって都市特権(フェロ)を付与されたレオンは,繁栄の時代を迎えた。新しい都市は城壁の外に建設されたので多くの商人をひきつけ,国際的市場となった。また,サンチアゴ・デ・コンポステラ への巡礼路にあたったため,新しいヨーロッパ文化の影響を受けた。レオン王国は1230年,最終的にカスティリャ王国 に併合されたが,カスティリャ王国の機構と慣習に多くの影響を残した。1520年レオンはコムネロスの反乱 に参加して敗れ,都市は衰えた。
19世紀には伝統主義派のカルリスタに反対して自由主義政府側につき,石炭と鉄道によってレオンは再び活況を呈するようになった。1936年に内乱が勃発すると,レオンは反乱軍側につき,アストゥリアス地方への侵攻の中心地となった。 執筆者:フアン・ソペーニャ
美術 サン・イシドーロ教会は1063年に献堂された。現在,当時のナルテックス (地階)が残る。ナルテックスの〈諸王のパンテオン 〉には,明るい色調と明快な形態を特徴とする旧約・新約伝のフレスコ(12世紀中ごろ)が見られる。また,植物文や獣頭,竜などを施した柱頭はスペイン最古のロマネスク彫刻であるが,当地のモサラベ建築の伝統や,象牙彫や金銀細工,写本画隆盛の影響を受けて新しい造形が生み出されたと考えられる。12世紀建造の南側玄関〈子羊の門〉における人像彫刻の豊満な肉付きは,フランスのトゥールーズ からサンチアゴ・デ・コンポステラへの巡礼路に沿って見られる作例と共通する。大聖堂(正称サンタ・マリア・デ・レグラSanta María de Regla)は,ブルゴス大聖堂 でも仕事をしたエンリケEnriqueが出身地ランスの大聖堂を手本に設計した。14世紀初めに完成。〈白い聖母〉をはじめとする玄関口の彫像群やステンド・グラス も備えて,非常にフランス的な大聖堂である。 執筆者:五十嵐 ミドリ
レオン Luís de León 生没年:1527-91
スペインのルネサンス詩人,聖書学者。アウグスティヌス会士。サラマンカ大学 教授となるが,異端審問にかけられ(1572),5年間獄中にあった。その一因は旧約聖書の《雅歌》をヘブライ語原典からカスティリャ語 に翻訳注解したことにあったが,これは《雅歌》の恋愛詩としての美しさを際立たせた,優れた業績である。女性風俗に独自の観察をみせる《完全な妻》,著者の内面史でもある《ヨブ記解説》,内容・文体ともに完成された《キリストの名称》は,いずれもカスティリャ語で神学を扱った散文である。詩にはイタリア的なリラの韻律を用い,ホラティウス やプラトンの思想とキリスト教の信仰との融合がみられる。代表作に《隠栖》《静かな夜》《サリーナス への頌歌》《昇天に》がある。彼の中に当時の神秘思想との類似を指摘する説もあるが,古典と神学の学識を手がかりに神を知ろうとする,あくまでも理知的な姿勢が彼の本領といえよう。 執筆者:吉田 彩子
レオン León
ニカラグア西部の都市。人口13万9433(2005)。1524年にスペイン人がマナグア湖 に面して旧市を建設したが,1609年の地震で破壊されて,翌年現在地に移った。1855年まで同国の首都であり,現在でもニカラグア第2の都市である。グラナダ市とは伝統的にライバル関係にある。1812年に設立されたレオン大学は,のちにニカラグア国立大学の一部となった。綿,サトウキビ ,米などの農業,綿加工,タバコ,皮革などの製造業の中心地としても知られる。1978-79年の内戦の激戦地である。 執筆者:山崎 カヲル
レオン León de los Aldamas
メキシコ中央部,グアナフアト州の都市。大都市域人口137万9851(2003)。原住民チチメカの居住地であったが,1576年スペイン人によって植民され,鉱山(金,銀,銅)都市として発達。市街地は,標高1885m,カマンハ山麓に広がる。19世紀以降,木材,皮革,金属工業が勃興し,現在でも靴製造業は同国1位を占め,繊維,製紙,機械,化学などの工業都市に成長した。肥沃なトゥルビオ川流域の農産物の集散地でもある。 執筆者:栗原 尚子
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レオン(スペイン) れおん León
スペイン北西部、レオン地方レオン県の県都。人口13万0916(2001)。カンタブリア山脈南麓(なんろく)の標高838メートル、南流するベルネスガ川左岸に位置する。レオン地方は、本来はレオン王国の占めていた地域をさす歴史的地方名で、東に隣接するパレンシア 、バリャドリード 両県の大部分も含み、レオンはその首都(10~13世紀)であった。792年以来、司教座所在都市ともなっている。19世紀には鉄道が敷設され、石炭を主とする鉱業で栄えた。また周辺の農産物の集散地であり、地域の商業中心として発展してきた。旧市街は市内東部の城壁(10世紀)に囲まれた一帯で、スペイン最古のロマネスク彫刻を施した柱やみごとなフレスコ画 を内部にもつロマネスク様式 のサン・イシドロ教会(8~11世紀)、フランス出身のエンリケの建築になるフランス風ゴシック様式 の大聖堂(正称サンタ・マリア・デ・レグラ大聖堂、13~14世紀)、かつてサンティアゴ巡礼者の宿として開放され現在レオンで最高級のホテルとなっている旧サン・マルコス僧院(16世紀再建)、市庁舎など、歴史的建築物に重要なものが多い。また新市街にはガウディ作の建物カサ・デ・ロス・ボティーネス(現在は銀行となっている)もあり、スペインでも有数の観光地となっている。新市街は旧市街の西側、川を渡って駅までの範囲で、その西に畑地が広がる。北方には繊維、製糖、化学などの工場および労働者の住宅が広がっている。
[田辺 裕・滝沢由美子]
レオン地方はすでに旧石器時代後期の遺跡を残しているが、ローマ支配のころは農産物や鉱山資源の集積地となっていた。スエビ人、バンダル人などのゲルマン系民族が侵入し、西ゴート王レオビヒルドのとき、その都トレドの支配下に入った。715年ごろイスラムが侵入し、大量のモサラベmozarabe(イスラム支配下に混住したキリスト教徒)が移民する。ドゥエロ川北岸の地ではレコンキスタ (国土回復戦争)の理念が生まれ、キリスト教徒による再植民が繰り返された。11世紀から12世紀に盛んになったサンティアゴ巡礼路上の都市として栄え、13世紀にアルフォンソ9世がサラマンカ大学を創立、輝かしい学問文化の地となった。10世紀以降カスティーリャ との分離と併合を繰り返すが、15世紀にはカスティーリャとポルトガル の王位継承をめぐる紛争地帯となった。スペイン王カルロス1世に対するカスティーリャ都市連合の反乱コムニダーデスの乱(1520)の影響も受けている。地形的に中央部と離れていることから、自らの法や特権を保ち続けた。1822年にレオン、サモラ、サラマンカ、バリャドリード、パレンシアの5県をもってレオン地方を構成した。その後、前3県がレオン地方となっていたが、1983年からは前記の5県にアビラ、ブルゴス、セゴビア、ソリアを加えた9県でカスティーリャ・イ・レオン自治州を構成している。
[丹羽光男]
レオン(Fray Luis de León) れおん Fray Luis de León (1527―1591)
スペインの詩人、人文学者。伝統的中世スコラシズムと人間中心のルネサンス思想の対決時代に、両者を調和的に統合しようとしたアウグスチヌス会士、サラマンカ大学教授。該博なヘブライ語学と厳密な科学性を駆使した『雅歌』の翻訳では、そこに含まれる肉感的、情愛的側面に光をあてるなど、ルネサンス人特有の姿勢もうかがえ、ために異端の嫌疑をかけられて5年ほどバリャドリードの獄中にあった。同時代の聖テレサSanta Teresa de Ávila(1515―1582)と同じく、彼にもユダヤ人の血が流れており、これが彼の思想形成、創作に微妙な影を落としている。散文作品には、キリスト教的理想の女性像をのびやかな筆致で描いた『完全な妻』(1583)や、深遠な思想性と磨き抜かれた清澄な文体がみごとに調和した『キリストの御名(みな)について』(1583)などがある。しかし彼の名がひときわ大きく輝くのは詩の領域で、ホラティウスやウェルギリウスらの翻訳を除けば創作詩は約30編とわずかだが、甘美さと清澄な輝きを具備したそれらの詩は、イタリア詩やギリシア・ラテンの古典、さらにスペイン神秘主義 の精華が渾然(こんぜん)一体となった比類なき詩的世界を構築している。
[佐々木孝 2015年11月17日]
レオン(ニカラグア) れおん Leon
中央アメリカ、ニカラグア第二の都市。マナグア湖の北西20キロメートル、モモトンボ火山 の山麓(さんろく)に位置する。人口12万3865(1995)、都市圏15万6049(2009推計)。周辺は肥沃(ひよく)な火山灰性土壌に覆われた代表的な農業地域で、同国の綿花の80%強を産するが、内戦によって生産量は大幅に低下した。農産物、皮革の加工業がある。1524年リベラル派の拠点としてマナグア湖畔に建設されたが、1609年の地震で破壊され、翌年現在地に再建された。1858年までの首都で、1812年創設の国立自治大学がある。
[栗原尚子]
レオン(3世) れおん Leōn (Leo) Isaurikos Ⅲ (675ころ―741)
ビザンティン皇帝(在位717~741)。北シリアの下層出身。軍人として台頭しアナトリア管区司令官となり、軍隊に推されてテオドシウス3世Theodosius Ⅲ(?―717以後、在位716~717)を退位させ、自ら即位してイサウリア朝を創始した。イスラム人のコンスタンティノポリス(現イスタンブール)攻囲戦を守り抜いてこれを撃退し(717~718)、さらに小アジア西部をイスラム支配から解放(740)して武断的中央集権策を進め、テマ(軍管区)制を再編、中小農民の保護に努めた。彼はイスラム教や東方教会の影響を受けて聖画像否定に傾き、726年に禁止令を発した。これは画像容認派の有力者を排除する手段でもあったが、総主教などを迫害する結果となり、またローマ教皇グレゴリウス3世の反発を招いて東西教会分裂を決定的にした。レオンはまたキリスト教思想を基盤とした民法典『エクロガ』をも編纂(へんさん)している。
[松本宣郎]
レオン(メキシコ) れおん León
メキシコ中央高原、グアナフアト州西部の都市。州都グアナフアトの西方55キロメートル、標高1885メートルに位置する。人口102万0818(2000)。1576年に建設され、市名はスペイン語でライオンを意味する。金、銀、銅の鉱山があり、織物業、製靴業が発達している。エルバヒオとよばれる灌漑(かんがい)農業地域の中心地で、トウモロコシなどを集散する。国道と鉄道が北のアグアスカリエンテスに向かって通じている。
[高木秀樹]
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レオン León
ニカラグア 西部の都市。ニカラグア第2の都市で,レオン県の県都。首都マナグア の西北西約 75km,ロスマラビオス山脈南西麓に続く太平洋沿岸低地にある。1524年スペイン人によりマナグア湖 の北西岸に建設されたが,1609年地震で破壊されたため,翌 1610年約 30km北西の現在地に移った。旧市跡は遺跡として 2000年世界遺産 の文化遺産に登録された。その後南東のグラナダ と競合しながら,植民地の首都として発展。ニカラグアの独立とともにその首都となったが,1857年グラナダとの対立を避けて首都はマナグアに移された。しかしその後もニカラグアの文化中心地で,1812年創立のレオン大学は 1952年ニカラグア大学に改組された。詩人ルベン・ダリオ が少年時代を過ごし,また没した地としても知られる。1978~79年にはサンディニスタ民族解放戦線 とソモサ政権(→ソモサ一族 )との軍事的衝突が繰り返され,市の中心部は破壊された。農業地帯の中心地で,綿花,サトウキビ,米,家畜などを集散し,綿織物,たばこ,製靴,馬具などの工業が立地。曲がりくねった細い街路に赤い屋根の家が並ぶ美しいスペイン風の町で,中央アメリカ最大規模のレオン大聖堂をはじめとする植民地時代の聖堂が多数残っている。レオン大聖堂は 2011年,世界遺産の文化遺産に登録。マナグアと鉄道,道路で連絡。都市圏人口 13万9433(2005)。
レオン León
スペイン 北西部,カスティリア・レオン自治州 ,レオン県 の県都。バリャドリド の北西約 130kmに位置する。ローマの第7軍団の駐屯地から発展。地名もレギオ legio(軍団)のなまりに由来する。10世紀ムーア人(→ベルベル人 )から奪回後はアストゥリアス王国 ,レオン王国 の首都となった。サンチアゴデコンポステラ への巡礼路にあたる交通の要地を占め,中世には文化,政治,経済の面で重要な役割を果たした。今日では工業化が進められつつある。酪農,食品加工業,化学製品・医薬品製造などが主産業。著名なステンドグラス のあるゴシック様式のサンタ・マリア・デ・レグラ大聖堂(レオン大聖堂,1199着工),ロマネスク様式の聖イシドロ聖堂(11世紀),今日では宿泊施設となっているルネサンス様式の聖マルコス大修道院聖堂などがある。人口 13万178(2006推計)。
レオン León
正式名称はレオンデロスアルダマス Léon de los Aldamas。メキシコ中部,グアナフアト州北西部の都市。同州最大の都市で,メキシコ市の北西約 330km,レルマ川支流トゥルビオ川にのぞむ肥沃な平野にあり,標高約 1880m。 1552年から入植されたが,町が建設されたのは 76年で,1836年市となった。かつては洪水によって大きな被害を受けたが,現在は大規模なダムによって守られ,メキシコ有数の穀倉地帯を背後に控えて重要な商工業中心地となっている。農産物の集散のほか,皮革製品,金糸や銀糸の刺繍品,スチール製品,織物,石鹸などの製造が盛んで,なめし皮や製粉の工場もある。メキシコ市と幹線道路,鉄道で連絡。正式名称は独立戦争の指導者フアン・アルダマにちなむ。人口 87万 2453 (1990推計) 。
レオン León, Moses ben Shem-Tob de
[生]1250頃.レオン [没]1305. アレバロ ユダヤ教の神秘家。新プラトン主義神学の教育を受けたのち,ユダヤ神秘思想カバラ に深くひかれた。スペインのユダヤ世界の宗教的戒律の弛緩に対して『ゾハール 』を書いた。
レオン León, Luis de
[生]1527. ベルモンテ [没]1591.8.23. マドリガル スペインの詩人,聖職者。神秘文学の代表者。神の創造物としての自然美を歌った詩篇と,散文の対話『キリストの名称について』 De los nombres de Cristo (1583~85) が有名。
レオン León
スペイン北西部の地方。カスティリア・レオン州のうち北部のレオン,サラマンカ,サモラの3県を含む地域をいう。中世後期のレオン王国の中心領域であった。
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レオン(ニカラグア)【レオン】
ニカラグア西部,モモトンボ火山西麓にある同国第2の都市。同国の文化の中心地で,進歩的な気風のため,グラナダ市とはライバル関係にある。農牧地帯の商工業都市。綿加工,タバコ,皮革などの製造工業が行われる。1524年マナグア 湖畔に創設,17世紀はじめの震災で現在地に移り,植民地時代から1855年までニカラグアの首都。1978年―1979年の内戦の激戦地。震災による旧市街遺跡は2000年に世界文化遺産に登録された。13万9433人(2005)。 →関連項目マナグア
レオン(スペイン)【レオン】
スペイン北部,カスティリャ・イ・レオン自治州の同名県の県都。カンタブリア山脈の南麓,標高820mにあり,交通・商業の要地。中世にはレオン王国 の首都として繁栄。11世紀のサン・イシドロ教会,13世紀ゴシックの大聖堂がある。皮革,麻織物,ブランデーの製造が行われる。13万1411人(2011)。 →関連項目サンチアゴ・デ・コンポステラの巡礼路
レオン(メキシコ)【レオン】
中米,メキシコ 中部,グアナフアト州の都市。メキシコ市の北西320km,標高1885mの高原に位置。皮革工業の中心地で,機械,繊維工業なども盛ん。1576年創設,鉱山都市として発展。123万8962人(2010)。
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レオン(3世) Leon Ⅲ
675ごろ〜741 ビザンツ皇帝(在位717〜741) ウマイヤ朝イスラーム軍のコンスタンティノープル攻撃を撃退し,小アジア西部を回復した。その後,726年聖像禁止令(聖像破壊令)を出すと,国内で教会と対立して混乱を招くいっぽう,ローマ教会とも対立し,東西教会分裂の原因をつくった。
出典 旺文社世界史事典 三訂版 旺文社世界史事典 三訂版について 情報
世界大百科事典(旧版)内の レオンの言及
【グラナダ】より
…植民地時代のいくつもの建物が残っており,家具,セッケン,織物,ラム酒などの製造業も盛んである。伝統的に保守派の拠点で,自由党の中心であるレオン市と政治的・経済的に対立してきた。【山崎 カヲル】。…
【ニカラグア】より
…ニカラグアという名前は,彼らの首長の一人ニカラオからとられたといわれる。スペイン人は[レオン](1522設立)を中心に植民を行い,70年にはグアテマラ総督領の一部にニカラグアを統合した。植民地時代に,農作物の生産地となる。…
※「レオン」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」