戦国時代~安土(あづち)桃山時代の武将。その生年については1539年とする説もある。尾張(おわり)国出身で佐々盛政の子。内蔵助(くらのすけ)とも称す。織田信長に仕え、黒母衣衆(くろほろしゅう)となる。のち柴田勝家(しばたかついえ)の与力(よりき)として北陸に活躍。朝倉(あさくら)氏討滅、長篠(ながしの)の戦い、石山本願寺の一向一揆(いっこういっき)攻撃に功績をあげ、1581年(天正9)2月越中(えっちゅう)国(富山県)一国を与えられ、富山に在城。信長死後は柴田勝家に味方する。賤ヶ岳(しずがたけ)の戦いで勝家が滅亡すると、織田信雄(のぶかつ)、徳川家康と結び、84年小牧(こまき)・長久手(ながくて)の戦いで豊臣(とよとみ)秀吉と対抗し翌年秀吉に降伏。87年九州の役に従軍し、羽柴(はしば)の姓を許され陸奥守(むつのかみ)、侍従(じじゅう)に任ぜられ、同年5月肥後(熊本県)一国を領す。博多(はかた)の普請を命ぜられ、そのため太閤(たいこう)検地に着手。しかしすぐ肥後国人(こくじん)隈部(くまべ)氏らの検地反対一揆にあい、失政の咎(とが)を受け、翌天正(てんしょう)16年閏(うるう)5月14日尼崎(あまがさき)で切腹。
[森山恒雄]
(二木謙一)
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織豊期の武将。尾張春日井郡比良村出身。父は盛政。初名は内蔵助,のち陸奥守。織田信長に仕え黒母衣(くろほろ)衆。1581年(天正9)越中富山城主。信長死後は柴田勝家に味方し,83年賤ヶ岳の戦,ついで翌年の小牧・長久手の戦を経て豊臣秀吉に下る。87年肥後一国をあてがわれ隈本城主を命ぜられたが,その直後に検地政策による国一揆を惹起させ,その責任によって翌年自害を命じられる。
執筆者:森山 恒雄
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…76年(天正4)本願寺,一向一揆と和睦した謙信は急速に越中を制圧,翌年には能登の畠山氏の七尾城もおとした。 以上のように一向一揆の勢力が介入して複雑な情勢にあった越中では,78年謙信が没すると織田信長が神保長住,斎藤新五を越中へ侵攻させ,さらに81年には越前府中三人衆の一人であった佐々成政を越中に封じた。成政は上杉景勝方と抗争をくりかえし,翌年6月には上杉方の越中侵攻の拠点魚津城を陥落させたが,本能寺の変のため成政は富山城に入って上杉方と抗争を続け,越中の制圧にあたった。…
…以後隈本城は近接する藤崎宮とともに隈本町の中核となり,鹿子木,城氏など有力武将の居城となった。1587年(天正15)豊臣秀吉による九州統一の結果,肥後は佐々成政に与えられ,成政は隈本城(古城)の城主となったが,国衆一揆を引き起こして1年で失脚,代わって加藤清正が入城した。清正は城下町の建設に取りかかり,白川と坪井川の間に一町一寺制の整然とした碁盤目状の街区を設計し,古府中から商人を移住させたという。…
…肥後国飽田郡府中(現,熊本市)に藩庁を置いた外様大藩。1587年(天正15)佐々成政が隈本城に封ぜられたのが起りで,領域は球磨郡を除く肥後国12郡であった。成政は翌年起こった肥後一揆の責を負って尼崎で切腹,肥後国は豊臣秀吉子飼の加藤清正(北半国19万石)と小西行長(南半国14万石)に分与された。…
…標高2541mで飛驒山脈の峠のうちでは最も高く,日本でも赤石山脈の三伏(さんぷく)峠(2580m)に次ぐ。古くから信濃と越中を結ぶ交通路の要衝であり,1584年(天正12)越中の領主佐々成政が,豊臣秀吉に対抗するため徳川家康との同盟を期待して,雪の峠越えをしたことで知られる。江戸時代から明治末期まで富山県側から大町地方へ塩と魚を運ぶ移入路として利用された。…
…桃山時代,肥後の国衆によって引き起こされた検地反対の一揆。1587年(天正15)7月下旬から約5ヵ月間に及んで,時の領主佐々成政および豊臣秀吉派遣の大名軍と戦う。主導者は肥後北東部の旧隈府(わいふ)(現,熊本県菊池市)城主隈部(くまべ)親永で,彼が検地反対の一揆を起こすや,即座に旧菊池氏の有力家臣であった国衆や阿蘇氏の旧家臣であった国衆甲斐氏も参加し,ついに肥後の全国衆層に及んだ。…
…しかし翌年豊臣秀吉は大軍をもって九州に入り,島津義久は肥後を捨て薩摩に退き,国衆たちも秀吉に下った。秀吉は52名の国衆をしばらく安堵するとともに,佐々成政を球磨,天草を除く一国の太守とした。成政は家臣団の給知を確保すべく検地を強行したため,同年7月隈部親永らによる国衆一揆(肥後一揆)が起こった。…
※「佐々成政」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
「歓喜の歌」の合唱で知られ、聴力をほぼ失ったベートーベンが晩年に完成させた最後の交響曲。第4楽章にある合唱は人生の苦悩と喜び、全人類の兄弟愛をたたえたシラーの詩が基で欧州連合(EU)の歌にも指定され...
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