喜界町(読み)きかいちよう

日本歴史地名大系 「喜界町」の解説

喜界町
きかいちよう

面積:五六・八七平方キロ

奄美諸島の一つ喜界島全域を町域とする。島の中央部に標高一六〇―二〇〇メートルの台地百之ひやくの台が続き、起伏の少ない平坦な地勢となっている。海岸部は北にトンビ崎、南西部にシツル崎・荒木あらき崎があり、早町そうまちわん浦原うらはらなどの入江がみられる。河川は少なく、湧水などに依存してきた。県道の喜界島循環線が通る。湾港からは奄美海運フェリーによって大島・鹿児島方面などと結ばれ、その西に喜界空港がある。遺跡および遺物散布地は現在の集落または集落近くに分布している。縄文時代の遺跡として、縄文前期の轟式土器に相似した土器片を出土した喜界高校校庭遺跡のほか、厳島神社いつくしまじんじや貝塚・荒木農道あらきのうどう遺跡・中里なかざと貝塚・荒木小学校遺跡・湾天神わんてんじん貝塚・志戸桶七城しとおけななじよう遺跡・早町中学校貝塚・長嶺ながみね遺跡などがあり、これらの遺跡からは面縄前庭式・嘉徳式などの土器、石斧・貝器・骨器などが出土している。志戸桶では長さ約二〇センチの縄文相当期の石斧が採集され、石材の輝緑斑糲岩の原産地は徳之島の可能性が高い。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「喜界町」の意味・わかりやすい解説

喜界〔町〕
きかい

鹿児島県南部,奄美大島東方約 25kmにある喜界島の 1町。1町で 1島を構成する。1941年町制。1956年に早町村と合体。古くは琉球王国に属し,江戸時代は薩摩藩代官が治めた。農業が中心で,サトウキビのほか水稲,バナナを栽培し,製糖工業が盛ん。大島紬特産奄美群島国立公園に属する百之台公園,トンビ崎,荒木海岸などが知られる。中心地区の湾(わん)に湾港があり,奄美市および鹿児島市との間を奄美海運が結ぶ。湾には喜界島空港もあり,奄美空港などと結ばれる。面積 56.82km2。人口 6629(2020)。

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事典 日本の地域遺産 「喜界町」の解説

喜界町

(鹿児島県大島郡喜界町)
日本で最も美しい村指定の地域遺産。
喜界島は鹿児島県の奄美群島に属し、鹿児島市から南へ約380km、奄美大島から約25kmの太平洋上に位置する隆起サンゴ礁の島。年平均約2mmの速度で隆起し続けており、地質学的にも世界的に有名。島の周囲48.6km、面積56.94k【m2】。主産業はサトウキビを中心とする農業

出典 日外アソシエーツ「事典 日本の地域遺産」事典 日本の地域遺産について 情報

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