江戸中期の儒者で荻生徂徠(おぎゅうそらい)の弟子。名は純(じゅん)、字(あざな)は徳夫、通称を弥右衛門といい、春台と号した。またその邸宅を紫芝園(ししえん)と号した。信州飯田(いいだ)(長野県飯田市)に生まれたが、9歳のとき江戸に移住。15歳のとき但馬(たじま)(兵庫県)の出石(いずし)藩に仕えたが、数年にして致仕し、京都、大坂、丹波(たんば)を転々とすること10年ののち、1711年(正徳1)ふたたび江戸に戻り、荻生徂徠と対面する機会を得た。これを機に、それまで疑いを抱いた朱子学を捨て、徂徠の門下となる。同年下総(しもうさ)国生実(おいみ)藩(千葉市)に出仕したが、今度も病を理由に5年後に致仕し、以後は官途につかなかった。延享(えんきょう)4年5月晦日(みそか)に没し、門人たちによって江戸・谷中(やなか)天眼寺(てんげんじ)に葬られた。
服部南郭(はっとりなんかく)が徂徠学の私的側面を継承し詩文派の中心となったのに対して、春台は徂徠学の公的側面を継承し経世論に秀でた。彼は、徂徠の自然経済機構に立脚した経世論を原則論としては認めつつも、現実が商品経済原理によって動いている以上、これに即応した藩専売制を有効な現実策として、富国強兵を積極的に図るべきだと説き、その理論的裏づけとして法家思想にも同調を示した。これらの春台の経世思想は、海保青陵(かいほせいりょう)に発展的に継承されている。倫理思想の面においては、宋学(そうがく)の心法論を否定し、心の自己統御能力をいっさい認めず、外的規範としての「礼」を重視し、これによって心を醇化(じゅんか)していくべきことを主張した。著書に『経済録』『弁道書』(1735)『聖学問答』(1736)『論語古訓』(1739)『論語古訓外伝』(1745)『老子特解』(1747)『紫芝園稿』(1752)など多数がある。
[小島康敬 2016年6月20日]
『頼惟勤校注『日本思想大系37 徂徠学派』(1972・岩波書店)』
(小島康敬)
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江戸中期の儒学者。名は純,字は徳夫,通称は弥右衛門,春台は号,別号を紫芝園。信濃国伊那郡飯田に生まれる。父言辰(のぶとき)は飯田藩士だったが,のち浪人。春台は15歳のとき但馬国出石藩に,32歳のとき下総国生実藩に出仕したが,いずれも数年で致仕した。17歳で中野撝謙(ぎけん)を師として朱子学を学び,32歳で同じ撝謙門下だった安藤東野のすすめで荻生徂徠に入門,古文辞学に転向した。経学にすぐれて,詩文の服部南郭と併称された。師説を継承しながらも,しばしば徂徠を批判した。易を重んじて,天下国家,人身,道徳の原理を陰陽によって説明しようとした点などに,徂徠に対する独自性が認められる。また春台は,将軍を日本国王とし,鎌倉,室町,江戸の3時代はそれぞれ国家が異なると主張した。主著として《詩書古伝》《周易反正》《論語古訓》《経済録》《聖学問答》《春台文集》などがある。
執筆者:三宅 正彦
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1680.9.14~1747.5.30
江戸中期の儒学者。通称弥右衛門,名は純,字は徳夫,春台は号。信濃国飯田生れ。江戸で中野撝謙(きけん)に入門。2度出仕したが致仕し,牢人生活を送る。一時京坂間を転々とし,伊藤仁斎にも面会した。1711年(正徳元)荻生徂徠に入門。蘐園(けんえん)諸子のなかで最も経学・経世論にすぐれ,道の外面化の徹底,人間性の否定面の強調など師説を擁護しながら独自の説を出した。「論語古訓」「論語古訓外伝」は徂徠説の批判を含み,朝鮮の丁茶山にも影響。「経済録」は藩政改革に示唆を与えた。海保青陵・西周(あまね)など後世思想家に与えた影響も大きい。プライドが高く,はっきりした性格で煙たがられたが,人情に厚い一面もあった。著書はほかに「聖学問答」「六経略説」「紫芝園稿」「独語」。弟子に松崎観海・湯浅常山ら。
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… このように二つの立場がある以上,赤穂浪士に対する見方が分かれるのは自然である。この一方の立場から徹底的な批判を加えたのが佐藤直方であり,赤穂浪士は幕府を相手とすべきであるのに,誤って吉良を討ったとの観点から批判したのが太宰春台であった。そしてこの両者の批判をめぐって賛否の議論が,宝永から天保まで130年にもわたって続けられた。…
…江戸中期の儒者太宰春台が経済すなわち経世済民という広義の政治・経済・社会・制度・法令などについて論じた書で,広く読まれた。1729年(享保14)成る。…
…封建社会の爛熟(らんじゆく)期・末期の現実を客観的・実証的に観察し,具体的・制度的な改革案をいろいろな思想的立場からうちだそうとした。太宰春台が《経済録》に〈凡(およそ)天下国家ヲ治ルヲ経済ト云。世ヲ経シテ民ヲ済(すく)フト云義也〉と定義しているが,もっとも的確な表現である。…
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