「継(つぎ)色紙」「升(ます)色紙」とともに三色紙の一つに数えられる古筆中の名品。平安後期(11世紀後半)の書写と推定される。『古今和歌集』の四季の歌を書いたもので、料紙には白、藍(あい)、茶などの具引き(胡粉(ごふん)引き)地にさまざまな型文様(亀甲(きっこう)、草花、唐草(からくさ)など)を雲母(きら)で刷り出した舶載の唐紙(からかみ)を用いており、もとは胡蝶(こちょう)装の冊子本。近世の初め、その断簡36枚が堺(さかい)の南宗(なんしゅう)寺の襖(ふすま)に貼(は)られていたが、うち12枚を佐久間将監実勝(さくましょうげんさねかつ)(1570―1642)が掌中にし、歌意を描いた扇面とともに帖(じょう)に仕立てて愛蔵、没後は菩提(ぼだい)寺である大徳寺塔頭(たっちゅう)竜光院(りょうこういん)の茶室・寸松庵に施入された。命名はこれに由来する。現在は諸家に分蔵。強靭(きょうじん)で充実した線の美しい連綿、小さな空間に広大な宇宙を感じさせる絶妙な散らしは高く評価されている。紀貫之(きのつらゆき)筆の伝承はむろん誤りである。
[尾下多美子]
『小松茂美監修『日本名跡叢刊49 寸松庵色紙』(1981・二玄社)』▽『飯島稲太郎編『平安朝かな名蹟選集5 寸松庵色紙』(1956・書芸文化新社)』
古筆の一つ。縦横10cmほどの正方形の唐紙(からかみ)に《古今集》の中の歌各1首を書したもので,継(つぎ)色紙,升色紙とあわせて三色紙といわれる名品。ただし,色紙といっても後世のいわゆる色紙とは違い,升形両面書写の冊子本をばらし,かつ表裏剝ぎ分けたものである。茶人佐久間将監真勝(さねかつ)(1570-1642)がこれを愛蔵したので,彼が大徳寺に設けた茶室寸松庵にちなんでその名がついた。なお,それ以前には堺の南宗寺にあったという。古筆見(こひつみ)の鑑定では紀貫之筆とするが,《古今集》の撰者の自筆としようとしただけのことで,おそらくは院政時代の書であろう。真勝はこの色紙に,その歌の心をえがいた扇面を添え貼ったが,現在扇面も残っているものは多くない。また,真勝がこの切の全部を手に入れたわけではないが,彼の所蔵以外の分も同様に寸松庵色紙と呼ばれる。連綿の妙と,度を過ごさぬ散らし書きの書風が賞される。
執筆者:田村 悦子
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…書写当時のままの完本は巻第五・八・二十の3巻のみで,他は分断され,諸家に分蔵されている。平安時代の三色紙と呼ぶ継色紙・寸松庵色紙・升色紙(ますしきし)も,本来は冊子本の歌集であったが,一首ごとに切り放して表具されている。継色紙は小野道風筆と鑑定されているが,書風はほぼ道風時代(10世紀中ごろ)と推定され,高野切よりは古体に属するものである。…
… 古筆切につけられた名称は,一つの巻物がいくつかに切断され,各所に分蔵されるに至った場合,もとは同じものであることを認識する必要から固有の通称がつけられるようになったもので,もとの所蔵者,伝来の地名,字すがた,料紙などの特徴にちなんで名づけられる。例えば,所蔵者の名をつけたものには本阿弥光悦の愛蔵した伝小野道風筆《古今集》断簡の〈本阿弥切〉などがあり,伝来の地名を冠したものは〈高野切〉〈本能寺切〉など,字すがたによるものは伝藤原佐理筆〈紙撚(こより)切〉〈針切〉など,料紙の特徴にちなむものに伝藤原行成筆〈升色紙〉,伝小野道風筆〈継色紙〉,伝紀貫之筆〈寸松庵色紙〉などがある。 現存する古筆切は約500種類に及んでいる。…
※「寸松庵色紙」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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