明治・大正期の指導的キリスト教教師。熊本藩士の子として熊本に生まれる。1871年(明治4)新設の熊本洋学校に入学し、教師L・L・ジェーンズにより1876年受洗した。いわゆる熊本バンドの一人。同年同志社英学校に入学し、1879年同校卒業後、東京の京橋に新肴(さかな)町教会を設立して牧師になる。翌1880年植村正久(うえむらまさひさ)や本多庸一(ほんだよういつ)らと日本最初の基督(キリスト)教青年会を創立して会長となり、機関誌『六合(りくごう)雑誌』を刊行した。1886年に著書『政教新論』を刊行して儒教と対比してキリスト教を論じた。新島襄(にいじまじょう)の死により1990年同志社の校長ならびに社長に就任。1899年からは東京の霊南坂教会牧師。1913年(大正2)より1922年まで日本基督教会同盟の会長を務めるなど、日本プロテスタントの中心的指導者であった。
[鈴木範久 2018年3月19日]
『『小崎全集』全6巻(1938~1939・同書刊行会/復刻版・2000・日本図書センター)』
キリスト教伝道者,牧師,評論家。熊本藩士の子に生まれ,熊本バンドに入るが,キリスト教入信は少し後である。1879年同志社卒業後東京で伝道し,《六合雑誌》《東京毎週新報》を刊行し,新島襄の死後同志社の校長ついで社長(1890-97),さきの東京伝道でその基礎をつくった霊南坂教会牧師(1899-1931),引退後同教会名誉牧師となった。彼の《政教新論》(1886)は封建教学である儒教を鋭く批判し,近代国家の建設にはキリスト教を精神的基礎とすべきことを唱えるが,その発想は儒教的である。彼は〈神の霊によって潔められた理性〉を神学の基礎とすべきことを唱え,合理主義に走らず,保守主義にも赴かず,穏健で進歩的な〈積極的福音〉的キリスト教を掲げた。彼は外国ミッションからの日本の教会の独立をたえず主張し,そのために各個の教会の拡大と相互の協力を唱えた。またひろく日本の教界の協同活動を推進した。
執筆者:土肥 昭夫
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明治〜昭和期の牧師 同志社大学名誉教授。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
1856.4.14~1938.2.26
明治~昭和前期の日本組合基督教会牧師。熊本藩士の次男。熊本洋学校在学中ジェーンズから受洗。同志社卒業後1879年(明治12)上京,京橋に新肴町教会を設立し按手礼(あんしゅれい)をうける。82年粟津(あわづ)高明創立の教会と合併して東京第一基督教会と改称。86年赤坂霊南坂に会堂を建設(霊南坂教会),90年新島襄の後継として同志社社長に就任した。この間「六合(りくごう)雑誌」「政教新論」を刊行。同志社辞職後,99年霊南坂教会牧師に就任し,1931年(昭和6)まで在任。「小崎弘道全集」全6巻。
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…キリスト教を基礎とした月刊総合雑誌(1880‐1921)。小崎弘道(のちに横井時雄,原田助など)を編集人とし,東京YMCA(のちに警醒社,六合雑誌社)より刊行され,とくに進化論,合理主義,国家道徳の問題に取り組んだ。1890年代より自由主義神学に赴き,98年よりユニテリアン誌《宗教》と合併し,日本ゆにてりあん弘道会刊行となる。…
※「小崎弘道」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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