山本健吉(読み)ヤマモトケンキチ

デジタル大辞泉 「山本健吉」の意味・読み・例文・類語

やまもと‐けんきち【山本健吉】

[1907~1988]評論家長崎の生まれ。本名、石橋貞吉。古典から現代に至る日本文学追究、独自の批評世界を開拓文化勲章受章。著「私小説作家論」「古典と現代文学」「芭蕉」「詩の自覚の歴史」など。

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精選版 日本国語大辞典 「山本健吉」の意味・読み・例文・類語

やまもと‐けんきち【山本健吉】

評論家。長崎県生まれ。本名石橋貞吉。第二次世界大戦中「私小説作家論」を刊行。幅広く古典から現代に至るまでの日本文学を追究。著に「現代俳句」「古典と現代文学」「芭蕉」など。明治四〇~昭和五八年(一九〇七‐八三

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「山本健吉」の意味・わかりやすい解説

山本健吉
やまもとけんきち
(1907―1988)

評論家。本名石橋貞吉。父は評論家の石橋忍月(にんげつ)。長崎市に生まれる。慶応義塾大学国文科卒業。在学中、原民喜(たみき)を知り、また折口信夫(おりくちしのぶ)の講義に刺激を受ける。改造社に入社、雑誌『俳句研究』の編集に従事して、俳句批評の基を培った。1939年(昭和14)中村光夫(みつお)らと『批評』を創刊。第一評論集『私小説作家論』(1943)で、私小説作家の肖像を自己の感受性に即して個性的に描き、注目された。その後、『芭蕉(ばしょう)―その鑑賞と批評』(1955~56。芸術院賞)、『純粋俳句』(1952)、『古典と現代文学』(1955。読売文学賞)、『柿本人麻呂(かきのもとのひとまろ)覚書』(1958~61)、『詩の自覚歴史』(1962)などで、西欧の個性中心の近代文学に活路をみいだすために、日本文学の反個性的な伝統にたたねばならないとする、独自の批評世界を拓(ひら)いた。ほかに『現代文学覚え書』(1956)、また『最新俳句歳時記』全5巻(1971~72)などがある。69年、芸術院会員。83年文化勲章受章。

[古木春哉]

『『山本健吉全集』全16巻(1983~84・講談社)』

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百科事典マイペディア 「山本健吉」の意味・わかりやすい解説

山本健吉【やまもとけんきち】

評論家。本名石橋貞吉。長崎県生れ。父は文芸評論家石橋忍月。慶応大学卒。大学時代に折口信夫の講義を聴き深く傾倒。吉田健一らと《批評》を創刊,同誌で評論を発表し,《私小説作家論》(1943年)としてまとめる。いくつかの新聞社,出版社で編集の仕事に携わるが,文筆活動に専念。《現代俳句》など俳句関係の業績を世に送り,古典文学評論の領域に分け入る。代表的な評論に《古典と現代文学》《芭蕉――その鑑賞と批評》《柿本人麻呂》《詩の自覚の歴史》などがある。日本芸術院会員。
→関連項目三田派

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「山本健吉」の意味・わかりやすい解説

山本健吉
やまもとけんきち

[生]1907.4.26. 長崎
[没]1988.5.7. 東京
評論家。本名,石橋貞吉。父は石橋忍月。 1931年慶應義塾大学国文科卒業。雑誌『俳句研究』の編集を機に俳句批評に手を染め,芭蕉俳諧の立場から独自の批評的世界を樹立した。 39年,吉田健一,中村光夫らと評論誌『批評』を創刊。主著『私小説作家論』 (1943) ,『純粋俳句』 (52) ,『古典と現代文学』 (55) ,『柿本人麻呂覚書』 (58~61) ,『正宗白鳥』 (75) 。 72年日本文芸家協会理事長。 66年日本芸術院賞受賞。 69年芸術院会員。 83年文化勲章受章。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「山本健吉」の解説

山本健吉 やまもと-けんきち

1907-1988 昭和時代の文芸評論家。
明治40年4月26日生まれ。石橋忍月の子。折口信夫(しのぶ)に師事。改造社で「俳句研究」を編集。昭和14年「批評」を創刊。「古典と現代文学」などで個性と伝統の問題にせまる独自の批評を確立した。芸術院会員。日本文芸家協会理事長。58年文化勲章。昭和63年5月7日死去。81歳。長崎県出身。慶大卒。本名は石橋貞吉。著作に「芭蕉」「最新俳句歳時記」など。
【格言など】こぶし咲く昨日の今日となりしかな(辞世)

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世界大百科事典(旧版)内の山本健吉の言及

【石橋忍月】より

…彼の全盛期は1891年ごろまでで,93年に金沢の北国新聞社に入社してからはしだいに第一線を退いた。文芸評論家山本健吉(1907‐88)は三男である。【十川 信介】。…

【第三の新人】より

…第1次戦後派および後続の新人につづく3番目の新人群という含みをもって用いられた。《文学界》(1953年1月号)に載った山本健吉の《第三の新人》が最初の紹介論文だが,当初は必ずしも前述の作家をさすものではなかった。服部達が《文学界》(1955年9月号)で〈劣等生・小不具者・市民〉を〈第三の新人〉の特色として挙げるにおよんでほぼ内容が定着した。…

【俳句】より

…《虚子句集》(1928)の序によると,その〈花鳥諷詠〉とは四季の変化によって起こる自然界の現象,ならびにそれに伴う人事界の現象を諷詠することであり,俳句は古典的な季節詩ということになる。こうした俳句観は,評論《挨拶と滑稽》(1946)で俳句に〈滑稽〉〈挨拶〉〈即興〉の3要素を指摘した山本健吉などの理論に支えられている。山本が芭蕉などの発句を介してその理論を引き出したように,伝統派は発句と俳句をほぼ同一視している。…

※「山本健吉」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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