峰崎勾当(読み)ミネザキコウトウ

デジタル大辞泉 「峰崎勾当」の意味・読み・例文・類語

みねざき‐こうとう〔‐コウタウ〕【峰崎勾当】

江戸後期の地歌箏曲そうきょく演奏家作曲家。天明寛政(1781~1801)ごろに大坂活躍。「」「袖香炉」「越後獅子」などの名曲を作曲した。生没年未詳。

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精選版 日本国語大辞典 「峰崎勾当」の意味・読み・例文・類語

みねざき‐こうとう【峰崎勾当】

  1. 江戸後期の地唄の演奏家、作曲家。天明から寛政(一七八一‐一八〇一)にかけて大坂で活躍。手事物端歌物の代表的作曲家で、手事物に「越後獅子」「東獅子」、端歌物に「雪」「こすのと」などがある。生没年未詳。

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改訂新版 世界大百科事典 「峰崎勾当」の意味・わかりやすい解説

峰崎勾当 (みねざきこうとう)

地歌三弦家。生没年不詳。大坂で天明年間(1781-89)ころに活躍。豊賀検校(?-1785)の門人で,大坂の端歌物・手事物(手事)の発展寄与。作品には端歌物の《》《袖香炉》《大仏》《花の旅》,手事物の《東(吾妻)獅子》《有馬獅子》《越後獅子》《翁》《残月》《玉椿》などがある。また《新大成糸のしらべ》(1801刊)の校訂にも参加している。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「峰崎勾当」の意味・わかりやすい解説

峰崎勾当
みねざきこうとう

生没年未詳。江戸中期の地歌(じうた)演奏家、作曲家。豊賀検校(とよがけんぎょう)(1743―85)門下で、天明(てんめい)~寛政(かんせい)(1781~1801)ごろ大坂で活躍。しかし、その伝記は明らかでなく、検校に昇進したらしいが、普通、勾当で通っている。『雪』『袖香爐(そでごうろ)』『小簾(こす)の戸』『花の旅』など芸術性の高い端歌(はうた)を数多く作曲する一方、『残月(ざんげつ)』『梅の月』『東(吾妻)獅子(あずまじし)』『越後(えちご)獅子』などの器楽独奏部分をもつ手事物(てごともの)を流行させた。

[平山けい子]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「峰崎勾当」の意味・わかりやすい解説

峰崎勾当
みねざきこうとう

江戸時代の盲人の地歌演奏家,作曲家。天明年間 (1781~89) 以降に大坂で活躍。端歌,手事物ともその作品は現在でも名曲とされる。豊賀検校 (1785没) の門下。『袖香炉』『』『こすのと』『新袖の露』『月』『花の旅』『別世界』『夢の夢』や手事物『吾妻獅子』『越後獅子』『』『残月』『玉椿』などがある。このほか菊永検校のもとで『新大成糸のしらべ』 (1801) の校訂に参加。また三弦手事物の確立と流行に大いに力を添えたと思われる。

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百科事典マイペディア 「峰崎勾当」の意味・わかりやすい解説

峰崎勾当【みねざきこうとう】

地歌・箏曲家。生没年不詳。豊賀検校〔1743-1785〕の門下。天明,寛政期に大坂で活躍。とくに三弦曲の作曲に才能を発揮し,大坂系の端歌物・手事物(てごともの)の完成に貢献した。端歌物《》,手事物《残月》《越後獅子》《東獅子》など名曲が多い。
→関連項目

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朝日日本歴史人物事典 「峰崎勾当」の解説

峰崎勾当

生年:生没年不詳
江戸中・後期の地歌箏曲家。天明年間(1781~89)以降,大坂で活躍した。『虚実柳巷方言』(1794)であげるうた上手の法師たちのなかに「みね崎」の名がみえる。地歌三弦による歌物や器楽的技巧を聴かせる三弦手事物を数多く作曲しており,前者に「雪」をはじめ「こすのと」「袖香炉」「別世界」「袖の露」など,後者には「残月」「越後獅子」「吾妻獅子」「玉椿」など,今日でも人気のある名曲が少なくない。「長うた一挺弾の達人」といわれた豊賀検校の弟子で,「袖香炉」は師への追善曲。大阪系地歌歌本で,享和1(1801)年板『新大成糸のしらべ』の校訂者のひとり。

(大貫紀子)

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「峰崎勾当」の解説

峰崎勾当 みねざきこうとう

?-? 江戸時代中期-後期の地歌三味線家。
豊賀検校(とよがけんぎょう)の門人。天明-寛政(1781-1801)のころ大坂で活躍した。端歌(はうた)「雪」「袖香炉」「花の旅」,手事(てごと)物「残月」などの作曲で知られる。

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世界大百科事典(旧版)内の峰崎勾当の言及

【東獅子(吾妻獅子)】より

…地歌。峰崎勾当作曲。1797年(寛政9)作。…

【残月】より

…地歌・箏曲の曲名。大坂の峰崎勾当作曲の本調子手事(てごと)物の地歌。1792年(寛政4)刊《増補よしの山》に初出。…

【地歌】より

…しかし,盲人音楽家たちのその後の自由な新作は,特殊な分類に編入しうるものを除いて,すべて〈端歌〉と認めてもよく,とくに舞の地の地歌は,ほとんどこの〈端歌〉の類である。大坂では宝暦(1751‐64)ころに歌木検校が改革して以来,その創作活動が活発となり,天明以後の峰崎勾当の時代に至ってその頂点に達し,文化・文政期(1804‐30)には600曲前後に及んだが,現在までに伝承されているものは,それほど多くはない。その作詞には,文人,俳人,通人たちの関与したものも多く,享保期(1716‐36)には柳沢淇園,天明期では二斗庵下物,流石庵羽積などが知られる。…

【繁太夫節】より

…大坂では盲人音楽家の浄瑠璃物として喜ばれ,それ以前の浄瑠璃物も繁太夫風に改調された。また富岡検校の《橋づくし》《髪梳き》,峰崎勾当の《薄雪》などの新作も作られたが,明治年間には門付(かどづけ)が演奏したので,品が悪いとして一般には演奏されなくなった。しかし富崎宗順が伝えていて富崎春昇に教え,春昇が1917年に上京してこれを紹介してから,世に知られるようになった。…

【雪】より

…(1)地歌の曲名。大坂の峰崎勾当(こうとう)が天明・寛政(1781‐1801)ころに作曲した本調子端歌物。作詞は《歌系図》の編者流石庵羽積(りゆうせきあんはづみ)。…

※「峰崎勾当」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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