漢詩人、随筆家、新聞人。本名惟弘(これひろ)。別号何有仙史(かゆうせんし)など。父祖代々の奥儒者の子として、江戸浅草に生まれた。家督を継ぎ、将軍徳川家茂(とくがわいえもち)の侍講などを経て、幕末、騎兵頭(きへいがしら)、外国奉行(がいこくぶぎょう)、会計副総裁など歴任。慶喜(よしのぶ)退隠後、1869年(明治2)隠居して向島(むこうじま)に閑居、新政府には仕えず、自ら「無用の人」と称した。山陽地方への紀行『航薇日記(こうびにっき)』(1869)、ヨーロッパ旅行記『航西日乗(こうせいにちじょう)』(1872~1873)などのほか漢文随筆の『柳橋新誌(りゅうきょうしんし)』(1874年刊)を書き、新時代風俗への嘲罵(ちょうば)をほしいままにした。1874年以後『朝野新聞(ちょうやしんぶん)』社長となり「奇文」の文名が高かったが、1877年『花月新誌(かげつしんし)』を創刊主宰、前記紀行のほか『鴨東新誌(おうとうしんし)(京貓一斑(きょうびょういっぱん))』を掲げた。
[岡 保生]
『『明治文学全集4 成島柳北・服部撫松・栗本鋤雲集』(1969・筑摩書房)』▽『前田愛著『成島柳北』(1976・朝日新聞社)』
幕末・明治初期の漢詩人,随筆家,新聞記者。本名惟弘,別号何有仙史など。江戸に生まれる。代々将軍の侍講を勤める家柄で,1853年(嘉永6)に家督を継ぎ,《徳川実紀》《後鑑》の編纂に携わったが,63年(文久3)狂詩を賦して幕閣の因循を諷したかどで侍講職を免ぜられた。これを契機に洋学を学習,抜擢されて騎兵頭をはじめ,外国奉行,会計副総裁などの要職を歴任。維新後は〈天地間無用の人〉を自称して野に隠れた。東本願寺法主に随行して欧米を漫遊したこともある。74年《柳橋新誌》初・2編を刊行,ついで《朝野新聞》の主筆に迎えられ,新聞界の大御所として重きをなした。政府の言論弾圧にたいする果敢な抵抗や軽妙なスタイルで時事を諷した雑録はよく知られている。また77年から漢詩文雑誌《花月新誌》を創刊,主宰した。文人的な美意識に拠って,文明開化の浅薄な側面を鋭く撃ったその反骨の姿勢は,反近代の文学の系譜に特異な位置を占めている。
執筆者:前田 愛
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(徳盛誠)
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…日刊。最盛期は,社長の成島柳北(なるしまりゆうほく)がコラム〈雑録〉で,主筆の末広鉄腸が論説で藩閥政府を風刺,痛罵した自由民権期であり,民権派の新聞として81年には日刊部数1万を超え,政論新聞第1位を誇った。成島の死亡や民権運動の衰退とともに急速に衰えた。…
…成島柳北の漢文随筆。全3編で,初・2編は1874年刊。…
※「成島柳北」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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