森鴎外(おうがい)とその周辺にいた小金井喜美子、落合直文(なおぶみ)、井上通泰(みちやす)らの文学グループ新声社(S.S.S.)の手になる訳詩集。1889年(明治22)8月発行の雑誌『国民之友』の夏期付録「藻塩草(もしおぐさ)」欄に発表された。鴎外の創作・翻訳作品集『美奈和(みなわ)集』(1892)に収録のおり、2編追加され全19編となる。「『レモン』の木は花さきくらき林の中に/こがね色したる柑子(かうじ)は枝もたわゝにみのり」と始まるゲーテ「ミニヨンの歌」、「いづれを君が恋人と/わきて知るべきすべやある」と七五調で歌い出されるシェークスピア「オフエリアの歌」をはじめ、レーナウ、ハイネ、バイロンなどの詩は、ロマン的心情をみごとなことばで定着させ、北村透谷(とうこく)、島崎藤村(とうそん)など明治の若者たちに多大な感化を与えた。漢詩に訳したり韻律を移植しようとしたり、その翻訳は多彩な美学を背景にもった実験的な試みともなっている。近代叙情詩の幕開きを告げる画期的な訳詩集である。
[中島国彦]
『神田孝夫・小堀桂一郎注釈『日本近代文学大系52 明治大正訳詩集』(1971・角川書店)』
訳詩集。1889年(明治22)8月2日《国民之友》第58号の綴込み夏季付録として発表された。訳者は〈S.S.S.〉(新声社の略),メンバーは森鷗外,小金井良精夫人で鷗外の妹喜美子,落合直文,市村瓚次郎(さんじろう),井上通泰。鷗外の翻訳作品集《水沫集(みなわしゆう)》(1892)に再録するときに2編を加えて全19編となった。ドイツのゲーテ,ハイネ,レーナウ,イギリスのシェークスピア,バイロンらの訳詩に,漢詩の和訳と和文の漢訳を添えた構成で,ゲーテの〈ミニヨンの歌〉,シェークスピアの〈オフェリヤ〉,バイロンの〈マンフレッド〉が名訳として知られている。原詩の理解,訳語の精錬,詩形の実験のいずれにも成功して,同時代の水準をはるかに越える記念碑的存在となった。
執筆者:野山 嘉正
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…これらは総じて明治新体制の指導的立場にある知識人たちによる啓蒙の詩であり,〈公〉的な用途を明確に意識したパンフレットであったといってよい。詩の本来もつべき繊細微妙な香りや味わいは彼らの追求の主目的ではなかったから,その方面である程度満足すべき質をそなえた仕事は,森鷗外らの新声社同人による訳詩集《於母影(おもかげ)》(1889)の出現をまたねばならなかった。1893年,北村透谷,島崎藤村,上田敏らが《文学界》を創刊,キリスト教およびルネサンスへの関心を中核にもつ浪漫主義運動を展開,啓蒙的・社会改良的功利主義を批判して,文学・芸術独自の価値にもとづく作品活動を主張した。…
…情熱と行動の詩人バイロンの後期の抒情詩〈さすらいをやめよう〉や,グイッチョリ伯爵夫人への愛をうたった〈ポー川〉や哀切な辞世のうたは,心に残る佳品である。 日本でもバイロンは早くから紹介され,《マンフレッド》を抄訳した森鷗外の《於母影(おもかげ)》(1889),《シヨンの囚人》を翻案した北村透谷《楚囚之詩》(1889),《チャイルド・ハロルドの遍歴》から構想を得た土井晩翠《東海遊子吟》(1906)などは有名である。【松浦 暢】。…
…これに反対して,勝本清一郎は,〈正統なロマン主義〉の性格が,〈自由を求める精神,形式を破壊する精神,保守的勢力に対して革命的な精神,動的な自己主張の精神〉(〈《文学界》と浪曼主義〉)にあると考え,北村透谷の劇詩《楚囚之詩(そしゆうのし)》(1889)から《蓬萊曲(ほうらいきよく)》(1891)へ展開する過程に,その顕著なあらわれを見ている。この勝本の立場からは,佐藤春夫がロマン的作品として高く評価する鷗外青年期の訳詩集《於母影(おもかげ)》(1889)や小説《舞姫》(1890)は,その静的な形式美,節度,保守,妥協への希求,抒情への傾向において,酷評されざるをえない。しかし,ここにある対立は,単にヨーロッパのロマン主義のどこに文学史的な範型を求めるかの差にすぎない。…
※「於母影」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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