日本におけるもっとも代表的な景勝地であり、近世後期に名数呼称が盛んになって「日本三景」と称された、安芸(あき)(広島県)の宮島(みやじま)(厳島(いつくしま))、丹後(たんご)(京都府)の天橋立(あまのはしだて)、陸前(りくぜん)(宮城県)の松島(まつしま)をいう。ともに海岸の風景で、岩浜や砂浜で囲まれ、針葉・広葉いずれかの樹林で覆われて日本式景勝の特色をよく備えている(ともに特別名勝)。厳島は山陽から瀬戸内海にわたる断層地帯の一部にあたり、断層で分離された花崗(かこう)岩の山で、最高峰は弥山(みせん)(530メートル)、全島がカシを主とした常緑広葉樹の原始林で覆われ、日本特有の植物景観(国の天然記念物)をなしている。天橋立は、断層を伴う沈降性海湾の宮津湾内を流れる潮流と風によって形成された砂州(さす)で、クロマツ林で覆われる。松島は、凝灰岩からなる丘陵が断層によって大小無数の島々に分離した多島湾で、アカマツ林に覆われる。
これらの景勝地は、歴史の動きのなかで有力な社寺地に選ばれ、厳島には平氏により鎌倉時代に建築された平安様式の諸社殿が連なり、数多い経巻や太刀(たち)・古神宝類を蔵し(すべて国宝・重要文化財)、瀬戸内海国立公園の拠点をなしている。
松島には伊達(だて)氏による五大堂(重要文化財)のほか近くに瑞巌寺(ずいがんじ)の諸堂(桃山建築の代表、国宝)があり、天橋立には智恩(ちおん)寺(智恵の文殊(もんじゅ))がある。こうして日本三景には、卓抜した自然景勝に、歴史の深みも加えられている。
[浅香幸雄]
宮城県の松島,京都府の天橋立(あまのはしだて),広島県の厳島(いつくしま)を日本三景と称している。松島や天橋立はすでに平安時代中期までに,京都の貴族たちには広く知られた名勝地で,歌や名所絵のよき題材とされていた。厳島は平安末期に平清盛が厳島神社を崇敬してから,現在のように海浜と社殿群が一体となった,変化に富んだ景観がつくられた。この三つがまとまって,日本の代表的風景とされるのは,江戸初期から中期にかけてのようである。林春斎,林春徳編《日本国事跡考》(1643)に書かれたのが初めといわれているが,ここでは〈三処奇観〉と記されていた。松島は松島湾に散在する200余の島々,天橋立は全長3600m余の砂州と6600本の松の風景に対し,厳島は人工と自然の調和した風景である。三景はいずれも海の風景だが,1934-36年に指定された国立公園(11ヵ所)は,瀬戸内海国立公園一つを除けば,すべて山の風景であった。
執筆者:田中 正大
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出典 日外アソシエーツ「事典・日本の観光資源」事典・日本の観光資源について 情報
…小天橋は文珠の沿岸に沿って延びており,間の狭い水道は切戸(きれと)あるいは文珠ノ瀬戸などと呼ばれ,開閉式の回旋橋で結ばれている。砂州上に6000本以上の松が並ぶ景勝の地で,松島,宮島(厳(いつく)島)とともに日本三景として知られる。早くは《丹後国風土記》逸文にみえているが,後に《小倉百人一首》に加えられた小式部内侍の歌によまれたり,藤原実行宅が〈海橋立(あまのはしだて)殿〉と称されているなど平安時代にはすでに有名であった。…
…宮島の名も古く,《高倉院厳島行幸記》に見える。江戸時代に松島,天橋立とともに〈日本三景〉と呼ばれたのも,自然の秀景だけでなく,平氏滅亡後もつづいていた厳島信仰のためといわれる。神の島であるため,現在でも町民の墓地は島内になく,対岸の大野町に埋葬する。…
…宮城県中部,仙台湾の支湾松島湾の沿岸部および松島湾に散在する島嶼(とうしよ)群の総称。日本三景の一つで,特別名勝。松島丘陵の南東部が,沈水して形成された湾入が松島湾で,沿岸は海食台地の隆起した比較的平たんな丘陵となり,沈水部の高所は段丘地形をもつ大小260余の島々や屈曲の多い岬となっている。…
※「日本三景」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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