わが国古来の武術で、ひしぎ、くじき、くだき、ほぐれ、みだれ、やわらなどとよばれた「無手或(あるい)は短かき武器をもって、無手或は武器をもっている敵を攻撃し、または防禦(ぼうぎょ)する術」(嘉納治五郎(かのうじごろう))をいう。古くは角力(すまい)(力競べ)などとともに、戦場における組み討ちに勝を収めるため、また護身の術として、武士の間で行われたもので、(1)投げ、絞め、抑え、逆をとる術―和術、体術、(2)相手をとらえ、抑え、縛する術―小具足(こぐそく)、捕手(ほしゅ)、取手(とりて)、捕縛(ほばく)、(3)人を打ち、突き、蹴(け)る術―拳法(けんぽう)、白打(はくだ)、把勢(はせい)などを包括する格技の総称で、刀法(剣術)を表とし、柔術を裏とする流派も少なくない。
柔術として流派が成立するのは、他の武術と同じく室町末期から江戸初期にかけてで、その先駆となったのは、1532年(天文1)作州(岡山県)の竹内中務大夫久盛(たけのうちなかつかさだゆうひさもり)が始めた小具足腰廻(こしのまわり)や、堤山城守宝山(つつみやましろのかみほうさん)の堤宝山流などである。中世以来の甲冑(かっちゅう)組み討ちの技術に加えて、足軽による集団戦闘に対応するための素肌者(すはだもの)の手搏(しゅばく)・捕手の術が重要視されるようになったからである。やがて近世初頭には、徒手本位の格技として大きな発展を遂げるが、そのもっとも早く現れたのは、1622年(元和8)柳生宗厳(やぎゅうむねよし)の門人福野七郎右衛門正勝によって始められた良移心当和(りょういしんとうやわら)、寺田平右衛門定安の貞心流(ていしんりゅう)、水早長左衛門信正(みずはやちょうざえもんのぶまさ)の開いた制剛流(せいごうりゅう)俰五身伝(やわらごしんでん)などである。ついで寛永(かんえい)年間(1624~44)には、茨木専斎の起倒流(きとうりゅう)乱(みだれ)や、小栗仁右衛門正信の小栗流(おぐりりゅう)和術、さらに関口弥六右衛門氏心(やろくえもんうじむね)の新心流(しんしんりゅう)などの諸流が成立した。
こうした近世柔術流派の形成期に、中国医学による経絡(けいらく)原理や拳法の技法が明人(みんじん)陳元贇(ちんげんぴん)(江戸)や王道元(おうどうげん)(長崎)らによって、わが国に紹介され、秋山四郎左衛門義時(よしとき)の楊心流(ようしんりゅう)など諸流に当身(あてみ)の術、殺活の法として取り入れられた。やがて元禄(げんろく)(1688~1704)前後には、各藩それぞれ独自の柔術が採用され、関口流から分かれた渋川伴五郎義方の渋川流や、吉岡流から独立した江畑杢右衛門満真の為我流が有名となった。さらに8代将軍吉宗(よしむね)の時代には、起倒流中興の功労者堀田自諾(じだく)が大坂で活躍し、その門弟滝野遊軒貞高(たきのゆうけんさだたか)は初めて江戸に道場を開き、その後の発展の基礎を築いた。また滝野の門から灌心流、汲心流が分派し、秋山の楊心流の系統から、大坂城同心の山本民左衛門英早が真之神道流(しんのしんとうりゅう)をおこし、また制剛流から森川武兵衛高正の霞新流(かすみしんりゅう)が生まれた。さらに化政期には、大坂では藤田麓憲貞の為勢自得天真流(いせいじとくてんしんりゅう)が、福岡には自剛天真流が、また拳骨和尚(げんこつおしょう)物外(もつがい)が不遷流をおこしている。幕末の小川町講武所では、柔術が採用され、起倒流鈴木清兵衛好邦(せいべえよしくに)が柔術師範役を勤めたが、わずか2年余で廃止された。一方、文久(ぶんきゅう)年間(1861~64)、江戸の磯又右衛門正足(いそまたえもんまさたり)が、楊心流と真之神道流とを合流して、天神真楊流を標榜(ひょうぼう)している。
以上のほか幕末の記録によれば、荒木当派、実光流(じっこうりゅう)、神明活殺(しんめいかっさつ)派、三和流(さんわりゅう)、沿海微塵流(えんかいみじんりゅう)、柳生心眼流、柳流、玉光流、一覚流、唯心流(いしんりゅう)、気楽流(きらくりゅう)、立身流(たつみりゅう)、転心流(てんしんりゅう)、止心流(ししんりゅう)、無外流(むがいりゅう)、拍子流(ひょうしりゅう)など200流に近い流派を数えた。なお、今日の隆盛を築いた嘉納治五郎の講道館柔道は、起倒流と天神真楊流を中心に、その他諸流派の長所を取り入れて、近代的に構築したものである。
[渡邉一郎]
『桜庭武著『柔道史攷』(1935・目書書店)』▽『丸山三造著『大日本柔道史』(1942・講道館)』
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…この中国拳法を日本に伝えたのは,元和~正保年間(17世紀前期)日本に渡来した明(みん)の人陳元贇(ちんげんぴん)であるといわれる。彼は日本の武芸者である福野七郎右衛門,磯貝次郎左衛門,三浦与次右衛門に拳法を教え,この門弟たちが,日本の柔術をつくり発展させたとされている。突き,蹴りを中心とした中国拳法の技法が,日本の柔術に大きな影響を与えたのである。…
…古来の柔術に改良を加えて創始された武道。嘉納治五郎は体育,修心,勝負を目的とする教育的観点から講道館柔道を創始した。…
※「柔術」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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